「己所不欲、勿施於人」という言葉をふと思い出した話
子どもの頃、「自分にしてほしくないことを他の人にしてはいけない」と教えられました。
仏教由来の言葉かなと調べてみると、そうではなくて論語でした。
原文は「己所不欲、勿施於人」です。
中学生の頃、「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と学んだような気もします。
孔子が思う「仁」とは他者への敬意や思いやりを意味していたのでしょう。また、人をぞんざいに扱わないことも大切だということです。
この言葉が昔から現在まで残っているのは、基本的に実践するのが難しく、戒めとして大事にされてきたのだと思います。
さて、日本に住んでいた子どもでも、親から「嫌だと思うことはするな」と言われるくらいです。
この簡単そうなことが、いかに難しいかを改めて感じます。
最近、私自身も気をつけなければと思うことが増えてきました。
例えば、人のミスを指摘するとき、以前はサラリとスルーできたのですが、最近はとても気になるようになりました。
また、自分のミスに対して落ち込みやすいタイプだったのに、最近は言い訳がとても上手になったように思います。
他者には厳しく、自分には甘い典型的なパターンに陥っているような気がします。
そして、これは関係ありませんが、おやじギャグを言いたい衝動に駆られることもあります。
自分はそういう冗談が苦手だったのに、どうしたことでしょう。年齢のせいだけだとは思えません
親しい友人から「経験値は上がっているのに、ストレス耐性が下がっているように感じる」というメッセージがありました。
それもその通りかもしれません。
いろいろなことを経験することで、感受性が強化された結果、以前は気づかなかったことや気にならなかったことが分かるようになったのでしょう。
その結果、感受性の強化に心の防御力の強化が追いつかず、ストレスを感じるようになったのかもしれません。
しかし、変化に気づいたのであれば対策も可能です。
何にも動じない鬼メンタルを持ちたいとは思いませんが、ストレスを感じたときには、より人間らしい感情を持つようになったのだと思うようにするつもりです。
「自分にしてほしくないことを他の人にしてはいけない」という孔子由来の言葉に対して、黄金律というものもあります。
それは「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」というイエス・キリストの言葉です。
ある人は、この言葉を孔子の言葉の上位互換だと思うようです。
確かに孔子は「するな」と言っており、イエスは「しなさい」と言っています。行動を促すイエス・キリストの言葉のほうが積極的です。
ただ、自分のして欲しいことを相手もして欲しいと思うかどうかは微妙です。
それで、黄金律が効果を正しく発揮するには条件があるように思います。
自分の感性が正しいとき、もしくは自分の善と思うことが間違いないときに黄金律は真価を発揮するでしょう。
自分の感じ方に自信が持てないときは、孔子の言葉を実践するのみに留めたほうが良さそうです。
さてさて、今後も相手を尊重すると共に、自分のことも相手のことも注意深く観察しなければなりません。
そうしないと、変な正義を振り回したり、他者の気まぐれにストレスを感じてしまうかもしれないからです。
決して老害と呼ばれるような人になりたくありません。でも注意しないと簡単にダメな人、嫌な人になってしまう気がします。
ちょっと愚痴ですが、中国の人、特に親しくなってくると黄金律で行動してくれる人が増えます。
でも、私はまったく嬉しくないことが多いのです。多分、彼らは自分の基準に自信を持っているのでしょうね。
相手の親切をまるっと受け止められる大きな心を持ちたいです。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日!