中国で暮らしていると細かい人も大らかになるのかもというお話
昨日の note でわたしが中国にきて変わったなと思うことについて書きました。
今回も同じテーマ「中国の影響を受けた自分」について書きたいと思います。
わたしは小さなコトでも気になります。
通販で買ったモノの箱が汚れてたり、角が潰れていたりしたら、ちょっとがっかりします。ルールが守られていないことが嫌いですし、話し合って決めたことを有耶無耶にされると、サヨナラしたくなります。
ノートは無印良品のA5方眼しか使いませんし、ペンだってシグノの0.5ミリ以外のものは使いません。インクの色はアオ系のものしか使いたくありません。
こんな感じですので、小さなことが気になって仕方がなかったのですが、中国で暮らすウチに悪く言うと大雑把、良く言えば大らかになったと感じてます。
大らかという言葉について、辞書で確認してみました。
大らかな人って素敵ですよね。
昔、わたしのメンターが「くまてつくん。大人というのは問題にすべきことと問題にしなくても良いことを見分けられる人のことを言うんだよ」と教えてくれました。そして彼はまさに大らかな人でした。
大らかだからといって適当ではありません。大らかな人とは、小さなことが気にならない人ではありません。例え気になって仕方がないことが起きたとしても、どうでも良いことであればスルーできる人のことを大らかというのです。
さて中国で暮らしていると「大雑把」な人に囲まれているように感じます。万事が適当なのです。小さなことから大きなことまで適当です。
例えば、わたしが通い詰めていたビール屋さん。会員になるために80元チャージしました。これでラガーが1杯7元で飲めるようになりました。チャージがなくなってもなぜか会員のままです。そしていつの間にか会員価格7元が11元になってました。
でもわたしも、またその店を愛用している友人も気にはしません。相手が大雑把で適当なのを知っているので、追求しないだけです。都合の良い変化もあれば、不都合な変化もある。それだけのことなのです。
わたしが住むマンションの入り口でPCR検査を受けたかどうかを確認されます。24時間の陰性証明が必要だと急に言われたりします。そしていつの間にか解除されたりします。突然の変化にルールはないので気にしても仕方がないのです。
昨日まで美味しかった料理が急にまずくなるなど、クオリティがブレブレなのも中国の特徴です。
こういう変化に対して、最も有効な対処法は「大らか」であることです。わたしのメンターが言うとおり「問題にしなくても良いことは見逃すに限る」。これで生活のストレスを大幅に減らすことができます。
細かいところまで気になり、クレームを入れるまではしなくてもモヤモヤを抱えがちだった自分が、最近では「可以(いいよ!)好的(わかった)没关系(気にしてないよ」が口癖なのが面白いです。
もちろん中国的処理方法や、彼らの気質が好きなわけでも良いと思ってるわけでもありません。しかし言っても仕方がないことを指摘するのは気力と時間の浪費だと思うだけです。
これって中国人が良く言う「没办法(仕方ないですね〜)」と同じだと思います。彼らはあっけなく損切りします。特にお上が関係していることに関して、無理と悟ったとき、秒で受け入れます。
トラブるリスクを考えると、損切りした方が良いと考えているのでしょう。そんな風に彼らのことを見ると、適当だとかがさつだと思ってましたが、現実的で理性的な人たちなのかもと思えてくるのも不思議です。
さて、こんな風に中国の影響を受けているわたし。またもや日本に帰るのが不安になってしまいました。日本に帰ったら会社勤めは無理っぽいので、フリーランスになるか起業するしかないなって思ってます。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日。