中国に10年近く住んでいても、さほど中国が好きじゃない自分が気をつけていること
自分の国を好きだと感じること
そのことをとても良いことだと思っています。
そして、わたしは日本の文化や風土を心地良く感じています。
日本や日本人の嫌なところもあるけれど、好きか嫌いかを天秤にかければ「好き」に大きく傾きます。
さらに、もっと日本のことを知りたいと思っています。
文化講座で日本の歴史について説明していますが、勉強すればするほど日本のことが好きになりました。
これは良い傾向だと思っています。
それと同時に、日本が好きな気持ちに影響を受けすぎて、他者や他国を過小評価したり、低く見ないように気をつけたいと思っています。
例えば、わたしは中国に10年近く住んでいます。
では、中国のことをどう思っているのでしょう。
中国や中国人の好きなところもあれば、嫌いなところもあります。天秤にかければ「少し嫌い」くらいの気持ちです。
でも、トータルで少し嫌いだからって中国の全体がダメなわけではありません。
中国人が概ね子どもや老人に親切なところとか、良くも悪くも大雑把なところとかに好感を持っています。
また、見栄っ張りなところも嫌いじゃないです。
彼らが変な見栄をはるとき、自分の中にある福岡人気質を見ているような気がして、ちょっと恥ずかしく思ったりするくらいです。
ちょっと話がそれてしまいましたが、中国という国や人をまるっとダメだと判断することはしたくないってことです。
もちろん、中国に関して「これは流石にダメだろ」と思うこともあります。しかし、残念なことにダメなところがない国は存在しません。
どの国にも、それぞれの特性があります。
また特性の現れかたもそれぞれ違います。パラメーターで特性を表示すれば、どの国も複雑な形を描き、どれひとつ同じ形にはならないでしょう。
そして、パラメーターが大きな丸を描く国は存在しません。
つまり完全な国は存在せず、どこに住んでいようと心からの満足を得ることはできないでしょう。
結局は、自分がどのパラメーターが好きか嫌いかという判断となります。
そう考えると、自分の好きなように暮らせている自分は、かなり恵まれていると考えるべきでしょうね。
今のところ、日本と中国という2国しか判断材料がありません。
しかし、実際には「山形・広島・福岡・愛知」と「深圳」という場所しか体験していませんので、わたしの判断もかなり偏っています。
この偏った経験しか持ってないことを認識しつつ、自分というレンズを通して物事を見るようにしたいと思ったりしました。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日〜