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記憶力に自信がない自分がしてきたこと(1992年〜2011年ごろ)

学生の頃、記憶力に相当の自信があった。

正しく言うと、自分の記憶システムに自信があった。

例えば、高校の世界史の試験などでは、試験終了時に自分で自分の試験を採点することができた。答えを書けたところはほぼ正解で、書けなかったところはもちろん不正解、つまり間違いを書くことはなかった。正解の鍵は正しくインプットしたか、しなかったかだけだった。

ある1点を超えるともう忘れることができない。しかしその基準に達していないとどうやっても思い出せない。

これが自分の記憶システムだった。それで試験前に時間が取れなかった場合、試験を受けるまでもなく大体の点数を予想できた。

それは社会人になってからも同じだった。

正しく整理されている記憶や知識を活用することは簡単だったが、それ以外はどうしようもなかった。記憶の断片や痕跡をたどり正解にたどり着くことがどうしてもできない。

それで自分の外部に記憶システムを持つ必要があった。言い換えると有能な秘書が必要だった。

しかし一般人の自分に秘書をつけることなど当然できないので、自分で自分の秘書を行う必要があった。ではどうやって自分で自分の秘書業務を行ったのか時系列にまとめて紹介したい。

1993年以前 すべては試行錯誤で混沌の中

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1992年、わたしはデザイン事務所で働きながら、様々な副業をこなしていた。

電子化などまだまだで、必要な資料は紙で渡されて、それを正しく管理する必要があった。また納期を見逃したりダブルブッキングすると、印刷屋さんに大変な迷惑をかけるので許されなかった。

しかし予定をしっかり記憶しておくことなどできるはずもなく、上司から突然仕事の進捗状況を尋ねられたりして、絶望することは日常だった。

携帯電話の登場で気軽に問い合わせできるようになったが、だからといってわたしが明確に返答できるというわけではなかった。

電話で「あの案件どうなってる」って聞かれても、そもそもどの件なのかわからないし、もちろん進捗状況なども覚えていなかった。ファイルを見れば思い出せるのだが、手元にファイルはなかった。

「多分、机の上に資料があると思います。見ていただけますか」と恐る恐る答え「無いぞ!どこだ?」って聞かれてわかりませんと答えるのは辛かった。

誰もが寝不足で多忙でイライラしていた。ただこれはシステムの問題だったのだが、当時の自分はそれに気がつかず、ただただストレスを感じ、それに対応しているように見える先輩たちを尊敬していた。

あとでわかったのだが、先輩たちは対応できていたわけではなく、徹夜などのパワープレーで乗り切っているだけだった。多くのデザイナーが結局続けられず辞めていった。

1993年 野口 悠紀雄さんの「超」整理法に出会う

本を読むことが趣味だったわたしが生まれて始めて購入したハウツー本は野口悠紀雄さんの「超」整理法だった。

この本の出会いでほぼ人生が変わったと言ってもよい。すでに27年前の本だが説明している内容は原則であり時代の変化に影響を受けない。

良い睡眠が体に良いのと同じように、情報を管理するのに「超」整理法を理解することは不可欠だ。これは原則であり例外はない。

詳しいことは本を読んでいただきたいのだが、簡単に説明すると「超」整理法とは・・・

1)保管場所は1つだけとする
2)1案件1ファイル
3)時系列に並べる

以上だ。

原則とはこういうものだ。シンプルでわかりやすい。

わたしは職場と自宅に案件を保管する場所を作った。

デザイン事務所の机の引き出しに大きな封筒を準備した。そして案件のタイトルを記入し、原稿やデータをまとめて保管した。また作業のバックアップも帰宅時にとり、同じく封筒に入れておいた。終了した案件は担当のデザイナーに封筒ごと渡して返した。これでトラブルは激減した。

自宅では繰り返し使えるようにとクリアファイルを購入し、案件ごとに資料を管理した。作業中のファイルはすべて鞄へ、終了した案件は書棚へ並べておいた。こちらはすべて自分のPCで作業していたので、データはPC内に保管していた。

しかしこれにも問題があった。それは資料はきちんと整理できてはいたが、案件の締め切りを指摘したり、思い出させてくれる仕組みはなかった。

鞄の中にあるファイル数や職場の引き出しにある封筒を眺めれば、やるべき仕事を思い出すことができたが、それを鞄にしまった瞬間忘れることは日常だった。

それでリマインダーを設定することが必要だった。当時は手帳を使っていたが、結局はこれもファイルと一緒で手帳を開いて見なければ思い出せない。時間があれば鞄の中のものをすべてだし、納期を確認したり、手帳をみていつそれを行うべきかを考える毎日で、友人や家族からあきれられていた。

2009年 iPhone 3GS を購入し、革新がおきる

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これまでは案件が入っているファイルが、リマインダ兼保管庫となっていたが、iPhoneの登場で大きく状況が動く。

電子的にTodoを管理できるようになり、しかもリマインダを設定できた。

このリマインダの良いところが、うっとうしいほどしつこく設定できるところだった。7日前・5日前・3日前・1日前・5時間前・1時間前と設定しても問題ない。

誰かに頼んで電話で注意してもらうなんてことはできない。しかしiPhoneなら問題なくできた。当時これをスマートにできるのはiPhoneだけだったと思う。

自分の手のひらに秘書がやってきたように思えた。携帯電話料こみで毎月4000円程度で秘書を雇えるのであれば安い買い物だった。

さらにテキストベースの情報をスマホの中に保管することもできるようになった。これも大きな革新だった。

今までメモはどこへ行ったと大騒ぎしていたのだが、今ではスマホで記録することを徹底することで情報をなくしてしまうということはなかった。

さらにスマホで情報を管理する上でもうひとつの大きな出会いがあった。

2010年 第二の脳 Evernote が現れる

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第二の脳というキャッチコピーを見て、自分が探し求めていたのがこれだとすぐに確信した。

Evernoteのすごさは検索だった。

過去に入力したすべてのデータから必要なものを検索することができる。Evernoteに出会ってから、わたしはメモ帳をすてた。すべてはEvernoteに記憶した。

会議中に携帯でメモをとることはマナー違反と思われるような状況ではA4の紙に議事録をとり、それもスキャンしてEvernoteに取り込んだ。

これで今まで記憶の断片にあっても取り出すことができなかった事を取り出すことができるようになった。

例えば「2011年に鈴木先生の講義でとったレジメ」を確認したいと思えば、先生の名前を入れて検索すればすぐに取り出すことができる。

またあるテーマについて、それがいつ、誰の説明だったかを確認したいと思えば、キーワードで検索することですぐに見つけることができる。

つまり手にひらの中に、秘書や事務官がいて、尋ねるとすぐに答えてくれるのだ。

しかし人は欲深いもので、ここまで便利になると自宅にある案件ファイルも持ち歩きたくなった。

これは2011年に解決される。

2011年 iPad2とScanSnapを購入し、すべての紙ベースのデータを電子化する

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妻はわたしの書棚が嫌いだった。

よくわからない紙がクリアファイルにいれられて並べられている。しかもほとんど見ない。何の役に立つのかわからないからだ。

それで彼女のその気持ちを利用して、5万円程度投資すればこの書棚を処分できると交渉した。

もちろん彼女は快諾した。

わたしはiPad2の発売日にヤマダ電機に行き、iPad2を購入した。そして自宅にあったクリアファイルの中の書類をScanSnapで読み取り、日付をつけて保管していった。

作業に数日かかったが、読み取った書類はすべて600グラムのiPad2に保管された。そして自宅にあった20㎏はあったであろう紙はすべて裁断されて処分した。

それ以降、わたしはすべての書類は一時的に紙にて保管されるが最終的には電子化されて処分している。

電子化された書類はすべて検索できる

もうわたしはアラフィフなので、記憶力はますます低下している。

それに対して行うべき事や、学ぶべき事はますます増えている。この状況に対応するために2011年まで行ってきたことをまとめてみた。

この10年という期間で、すべての人が自分に秘書や事務官をつけることができるようになったというは素晴らしいことだ。

さらに2016年12月にiPadPro12.9インチモデルとAppleペンシルを購入した際に、次の変化が起きるのだが、それが別のNoteにまとめたい。


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