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せっかくの中国生活、もっと写真を撮らなくてはと思った件
DTH 郝老师 さんのポストを読んで、本当にその通りと思いました。
俺の若い頃も「カメラではなく心に刻め」という論調があって写真はほとんど撮らずに行動してきたけど、振り返ると残念だった。心に刻んだもの、はっきり言ってほぼ覚えてないのよ。写真に残したものはそれを通して当時の匂いまで蘇ってくることがある。人それぞれだけど、俺は写真に残すことを勧めるよ https://t.co/FwPnOdzppK
— DTH 郝老师 (@DTH03597062) December 15, 2024
僕は風景を心に刻みつけることも大好きですが、それと同じくらい写真に撮るのも好きだし、大切だと思っています。
だって記憶は嘘をつくし、改ざんされてしまうからです。
しかし、写真があれば記録を客観的に残すことができます。そして、写真のすごいところは撮影したときに気づかなかった情報までも記録してくれるところです。
あとになって見返してみると、意図してなかったものが映り込んでいたりして笑っちゃったり、恥ずかしくなったりできます。
これは記憶をたどってもたどり着くことができないことです。
加えて、撮影とは自分の目の前にある風景を自分の視点で切り取り保存することです。
ですから、あとになって写真を見返すことで、DTH 郝老师さんが言っておられるとおり「匂いまで思い出す」ことが可能になります。
さらには、写真とはまったく関係のない当時のことを、リアルに思い出すことすらあります。ただ、その記憶が事実かどうかは知らんけど。
さらに、今はデジタルの時代になり、わずかな費用で、毎日を画像にしても映像の形にしても、高解像度で記録し保管することができます。
わたしのGoogleフォトには7万枚以上の写真が保存され、月230円ほどで利用できる。これだけ手軽なら使わない手はありません。
それで、今後もiPhonewを使って写真を撮りまくらなくちゃと思ったのですが、ここで気がついたことがあります。
それは、写真を撮る頻度がこの1年で圧倒的に少なくなっていることです。
例えば2015年11月のタイムラインを振り返って見ると、ほぼ毎日10〜30枚もの写真を撮っています。
しかし、2024年11月は合計30枚程度、しかもほとんどが猫とビールというありさまでした。
これでは、写真を振り返っても中国暮らしを思い出すこともできないでしょう。
それで、来週からはもうちょっと意味のある写真を撮れるように、街をブラブラすること、そして写真を撮ろうという意欲を持とうと思ってます。
なんなら note でも撮った写真を公開していこうかなって思ってくるくらいです。
ただ、身バレが怖いし、リアルのわたしは臆病者ですので、写真からわたしが誰か気がついても、知らんぷりしてくださいね。
さて、来週も気を確かにもって頑張りましょう。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日〜
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