わたしが今住む中国広東省の街が好きな理由
わたしは今住んでいる街が好きです。
この街には日本人が中国といえば思い描くような山水画のような風景もありませんし、古い街並みもありません。さらには地元の特別な料理なんかもありません。
あるのは超高層ビルと整備されすぎた公園、そして小高い丘のような山くらいです。
住んでいる人のほとんどは外部から仕事のために引っ越してきた人ばかりです。
わたしのリアルの知り合いで、祖父の代からこの街で暮らしている人は二人しかいません。
お金はあるけど歴史はない。活気はあるけど味わいはないと言われるこの街が、なぜかわたしは大好きです。
それはきっと、街も人もわたしのことを気にしないからだと思います。言い換えると、人と人の距離感が心地良いと感じているのだと思います。
わたしも含めて、多くの人が今の人間関係が仮初めの関係であると考えています。ほとんどの人がいずれこの街を去っていってしまうのです。
もちろん、ここで家を買い暮らしをキープできる人もいるでしょう。しかし、この街の不動産は一般の勤め人が購入できる金額ではなくなっていますので、普通の人が家を買い暮らし続けるのは難しいでしょう。
さらに、IT企業などに勤めている人にとって定年35歳というのは都市伝説でもなんでもなく、ある程度の年齢になるとリストラのため内陸に戻るというのは想定内です。
そんな状況ですから、今の関係を大事にしますが、ドライな関係を同時に保つ人が多い様に感じます。
その関係性が、転勤族の子どもとして育ったわたしには心地良く感じます。
子どもの頃、自分と同じような境遇の人を見たことがありませんでした。
わたしは平均すると3年弱で生活環境を強制的に変化させられていました。
しかも、その決定は唐突で父親が転勤だと言えば2週間後には新しい場所で暮らすことになりました。
引っ越しのたびに、友人から一生の友だちだからとか、手紙をやり取りしようねと言われましたが、中学になる頃には、それは一時の気持ちの高ぶりによる実現できない約束だと気づくようになりました。
でも、嫌われたくない私は、そうだね、そうしようと応じつつも、手紙は来ないだろうなと思ってました。
でも、ここの人間関係は違います。
いつ、誰が、どんな理由で突然いなくなるかわかりません。
ですから、一緒にいるときは楽しくすごします。そして、お別れになってもまめに連絡をとりましょうなんて気楽に言いません。
そもそも中国は広大で、会いたいと思ってもそうそう会えません。ですから、ただ「またね」と言うだけです。
そして、本当にまた会う機会があれば、例え何年も会ってなかったとしても、ほんの数ヶ月会わなかったかのように振る舞い、楽しくすごします。
この距離感を心地良く感じています。
さて、わたしはこの街を離れることになるかもしれません。
Xでも呟いていますし、以前の note にも書きましたが、中国での仕事が不安定すぎて対策が必要だからです。
大好きな街を離れることは寂しく思いますが、きっとそうなったとしても気持ちよく友人たちとお別れできるのではと思います。
なぜなら、ここでできた友人たちはサラリとしていますし、もしわたしがフラリと遊びに来ても、くまてつさん久しぶりだな〜と迎えてくれそうな気がするからです。
そんなことを考えてしまいました。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日!
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