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カタールにWカップ観戦へ行った中国人が日本人に間違えられたのを残念がる中国人大学院生のお話
今日は寝不足な人が多いのではないでしょうか?
午前4時から始まった試合、大金星というと日本代表に失礼かもしれませんね。試合を見ていないので、どんな内容だったかわかりませんが、いずれにしても素晴らしい結果だと思います。
にわかサッカーファンの私でも、日本代表が、ドイツに続いてスペインにも勝利できるとは思ってもいませんでした。次のトーナメント戦も楽しみです。
さて、先日大学院で授業してるときに、ワールドカップの話題になりました。学生たちのなかにも試合を見てるので寝不足だという人が大勢いました。中国チームが参加できなくて残念でしたねと言うと、まだまだ無理でしょうねと笑ってました。
さて、学生たちの話しを聞いていると、中国チームが参加できなかったことよりも残念なことがあったそうです。それは「カタールに観戦へ行った中国人が日本人に間違えられる」ことです。
どうして日本人に間違えられるのが残念なのか?
わたしは中国で暮らす日本人です。
わたしもよくいろいろな国や地域の人と間違われます。最近は中国の農村から来た人と間違われますが、少し前までは、台湾人や香港人と間違われてました。
これは、わたしの中国語に癖があるからでしょう。ことば使いから「どこの方言を話してるのだろう」と思われているに違いありません。そして、間違われても残念ではありませんし、がっかりもしません。
それで学生に、どうしてカタールに行った中国人が日本人に間違えられることが残念なのか聞いてみました。
すると、ある学生は「中国人がサッカー観戦のためにカタールへ行くと思われていないような気がする」と言います。
また別の学生は「日本がドイツに勝利したので、アジア人を見たら日本人だと決めつけて祝福しようとするのだろう。でも自分たちは日本人でないので、祝福されても反応に困る」と言います。
つまり中国人が軽く見られているような気がするんだねと言うと、学生たちは「そう!そう!」と言います。確かに、この状況はプライドを傷つけられるかもなと思いました。
ただ、もし間違われても「わたしは中国人なんですよ」と言うだけで済むことですし、話しのきっかけにもなって異文化交流の良いチャンスなのにと思ったりもしました。
1994年にワールドカップ予選をみた自分の気持ち
そういえば、1994年にワールドカップ出場まであと一歩のところで敗退した日本代表。
あのときはアジアからは韓国とサウジアラビアが出場しました。韓国は連続でワールドカップに出場していましたから、スゴいな韓国、日本とどこが違うのだろう・・・なんて思ったものでした。
もしかして、1994年にアメリカにワールドカップを観戦に行ったとしたら、わたしも韓国人と間違われて、いくらかプライドが傷つけられたかもしれません。日本人はお呼びでないと思われているように考えてしまったかもしれません。
ですから、わたしの学生たちがカタールで中国人が日本人と間違われたと聞いて、ちょっと複雑になる気持ちもわかるような気もします。
そういえば、2019年にオランダへ2週間ほど行ったとき、中国人と間違えられることはありませんでした。でも、もし旅行中に何度も中国人?とか、韓国人?と聞かれ続けると、特に理由はないのに嫌な気持ちになったかもしれません。
コスモポリタンになりたいと思っていても、凝り固まった価値観や偏見などからなかなか自由になれないものなのでしょうね。
地球人とまでは思えなくても、アジア人くらいの範囲で自分のことをとらえるようになれると、消極的な態度を示したり、不機嫌になったりすることを避けられるだろうなって思います。考え方や感じ方を変えて行きたいです。難しいけど。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日。
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