執着できない自分がちょっと恨めしい話
今日はちょっと自分のことをお話ししたいと思います。
わたしは、こだわりはあるほうだと思うのですが、モノやコト、ヒトに執着心がありません。
子どもの頃から大事にしていたモノなんてありません。
今、手元にあるものはすべて5年以内に購入したものですし、中国から撤退するときに全部捨てても構わないと思っています。
仕事や趣味にも執着はありません。
そもそも、趣味がありません。
もっとも長く続いているのが note を書くことです。これは3年以上続けていますが、恐らく人生でもっとも長く続いていることです。
仕事も今は日本語教師をしていますが、その前は通販をしていました。バイヤーの仕事もしていましたし、社内報やニュースレターの編集、執筆をしていたこともあります。
広告デザインの仕事もしていましたので、今でもイラストレーターは使えます。フォトショは苦手ですけど。
動画の編集もできます。撮影はセンスないと思いますが。
いろいろしてきましたが、執着心がないので長く続けようとか、極めようという気持ちになりません。
何でもできそうだけど、何ができるのか良くわからない人、それがわたしです。
加えて、人にも執着がありません。
良く「くまてつさん、お友達多いでしょう?」と言われますが、実は数えるほどしかいません。
今、周りにいる人と、ごくわずかな友人とだけ定期的に連絡を取ります。
もし、自分が引っ越してしまえば、またどこかで会えたらいいなとは思いますが、豆に連絡をとることもありませんし、連絡がなかったとしても寂しくも思いません。
恐らく、親からすべてのモノは仮初めで、永遠ではないと教え込まれてきたからだと思います。
やってみたかったことがなかったわけではありません。
でも、そんなことしても仕方ないとか、今それをしても、結局は長くは続けられないからしなくてもよいと言われました。
それを真に受けた自分の決定が、今の自分を作っているわけですから、親に文句をいうつもりもありません。環境がどうであれ、すべてのことは自己責任ですし、自分が選んだことなのです。
でも、最近になって、どうしてもしたかったことは親に隠れてでもやっておけば良かったなと思ったりもします。
このまま進むと「あれは痛快だったな〜」とか思いだせる思い出とか、「あの時はがむしゃらだったな」と自分だけがフフフと笑ってしまうような思い出を持たずにお爺さんになってしまいそうです。
それは、寂しいなと思いつつも「今更どうする」という思考パターンから逃げ出せずにいます。
もちろん、現状を絶対に変えなければならないわけでもありません。妻と一緒にいつまでも静かに暮らすのも悪くありません。
でも、なんだかそれだけでは今後自分のためにならないという気持ちもあります。
この何とも言えないモヤモヤとした気持ちをどのように処理すれば良いのかと、今日も書斎でぼんやりとしていました。
恐らく、わたしのような人、結構多いと思うのですが、どうなんでしょう。そういう人と一緒に、意見交換してみたいです。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日!
ぜひぜひ、サポートをお願いします。現在日本円での収入がなく、いただいたものは日本語教材や資料の購入にあてます。本当にありがとうございます。