お風呂の話 4
富山県 ドラム缶風呂
今年も梅雨入りした。もうとっくに梅雨入りしていると思っていた。梅雨が明けると夏が来る。どうしようもない位に日差しは強くなり、空の青さはグッと濃くなって、煩いくらいに油蝉が泣く。今年はさすがに大丈夫かもしれないが、テレビから水不足のニュースが流れると、水とお風呂の大切さを知ったある出来事を思い出す。山での出来事、お風呂の思い出。
20年前、30才の春、私は富山にいた。大きな仕事を任された嬉しさから、目を爛々と輝かせて働いていた。毎朝家から会社に向かう道からは、剣岳から立山を経て薬師岳に至る長大な立山連峰の姿が見えていた。雪を抱いた美しくて大きな山々は、仕事に向かう私を励ましているように思えた。ところが肝心の仕事が上手くいかず、輝いていたはずの私の目はいつの間にか死んだ魚の目のようになっていた。会社の窓からも立山連峰が見えたけれども、休みはおろか睡眠時間も無い自分にとって、そこはいつの間にかあまりにも遠い場所になってしまっていた。雪だるまのように疲れと悩みばかりが大きくなって、自分は半分死んだような気分であった。自分の良さとか、自分のやりたいことって何なのだろうと、考えても仕方がないことばかり考えても答は出ずに、結局会社を辞めた。そして私が会社を辞めた日に梅雨が明けた。私は会社の窓から見える大きな山の一つである薬師岳に登り、頂上直下の標高2700mにある薬師岳山荘を手伝いながら居候させてもらうことにした。山小屋の生活は不便も多いが、早寝、早起き、3食昼寝付きで、本当に健康的な生活である。私は5年ぶり位にたくさん食べ、たくさん寝て、たくさん運動をした。体は数日で驚くほど元気になって、数週間前の大きな悩みは嘘のように消えてしまった。美しい薬師岳に見つめられ、自分に何が足りなかったのかが分かったような気がした。
そんな山小屋で、最も大切なのは水である。水場が無く、雨水だけに頼る薬師岳山荘は、雨が降らずにお客も多い真夏は本当に水が足りない。それだけ水が貴重なのだから、当然お風呂には入れなかった。お盆が明け、大雨が降った翌日、ようやく1ヶ月以上ぶりにお風呂に入ることができた。ドラム缶に雨水を貯め、ゴミ焼きのバーナーでお湯を温めた。従業員が順番に入ったが、居候の私が最後にドラム缶に入った。ドラム缶の中は垢だらけで、それは酷いものだったが、1ヶ月ぶりのお風呂の喜びはそれ以上であった。この1ヶ月の間に山で流した気持ちの良い汗の全てが、ドラム缶の中に溶け込んでいった。湯上りの体を冷ます山の風は、もう秋の風だった。
8月が終わり、私は薬師岳を下りた。驚いたことに、前の職場の仲間たちが登山口まで迎えに来てくれていた。皆、真っ黒に日焼けして、2まわり位大きくなった私を見て驚いていた。迷惑をかけて会社を辞めたのに、迎えに来てくれた仲間たちが本当に有難かった。薬師岳はこの1ヶ月の間に、水やお風呂の大切さだけでなく、色々なことを教えてくれていた。仕事の難しさ、自分の弱さ、仲間の大切さ、健康であることの有難さを教わり、これから自分が何をすべきかを分からせてくれた。私は、仲間と別れて駅へと向かった。駅ビルのショーウィンドウに映った自分の姿は、梅雨時の自分とは別人のように逞しく思えた。2ヶ月前下を向いていた私は、大きなリュックを背負い直し、しっかりと前を向いて改札をくぐった。私は少しの間目をつむり、心の中で薬師岳や仲間たちにお礼を言って、3年間お世話になった富山を後にした。
昔の思い出話だが、今 久しぶりに仕事を辞めることを考えている。梅雨明けまでに結論出せるだろうか。今年は楽しい夏にしたい。