毎日連載する小説「青のかなた」 第101回
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「私、てっきりトミオさんを怒らせてしまったかと……」
「どうして怒る? 僕はね、光。もしかしたら、ずっと誰かにそう聞いてほしかったのかもしれない。光がさっき聞いてくれたようなことを。戦争の話は、子どもたちにもしてきた。孫たちにも。でも、何か……一番真ん中の、コアの部分が伝えられていないような気がしていた。自分でもそれが何かわからなかった。でも、今光が聞いてくれてわかった。僕が、光たちや、その次の子どもたちにしてほしいことがあるとしたら、それはひとつだけ」
「何ですか?」
「目の前のことを、いつも疑いなさい」
光の目をしっかりと見て、トミオは言った。
「経験してみて、はじめてわかったよ。戦争は単なる領土の奪い合いじゃないということ。『個人』を奪われること、生活を侵されることだった。それはいつの間にか暮らしに忍び込んでいて、そのときには気づかない。学校で教わること、新聞で見かけること、大人たちの会話。何気ないことに忍び込んできて、国を守るために死ぬことが素晴らしいことだと、当然のことだと考えて疑わない子どもが増える。そういう子どもが戦場に行ったとき、ようやく気づく。取り返しのつかない場所に来てしまったこと。もう二度と、あたたかい場所に戻れないこと」
あたたかい場所に戻れない、というのが、単なる死を意味しているわけではないのだと直感した。地獄のような場所からなんとか生き延びて、おうちに帰れたとしても、死んだ友達の顔が頭に浮かんで消えないかもしれない。その後の人生でしあわせだと感じる局面があったとしても、あったからこそ、生き延びられなかった人のことを思うかもしれない。「なぜ自分だけが生き延びたのか」と自問するかもしれない。
「だからね、光。目の前のことを疑いなさい。みんなが正しいと、当たり前だと思っていること、本当にそうなのか、いつも疑いなさい。大人たちが言う『いい子』になんか、ならなくていい。なってはいけない」
光の手にあたたかいものが触れた。トミオの手のひらだ。何かを訴えかけるように、光のそれを握る。
「大勢の人たちが言うことでもなく、テレビの言うことでも、インターネットで人気の人が言うことでもない。親や先生が言うことでもない。自分の心で感じていること、体で感じていることを信じなさい。それが『自分』を生きるということ」
自分を生きるということ。頭ではなくて、もっと深い、内の部分で聞かないといけない言葉だと思った。そして、絶対に忘れてはいけない。
光がパラオを訪れたことに、いくつか意味があるとしたら……間違いなくトミオのこの言葉がそのうちのひとつだ。