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毎日連載する小説「青のかなた」 第54回

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 とっさに言葉を返すことができなかった。黙っている光を見て、緑は「答えは急がないからさ」と笑顔を見せた。

「その……パラオだっけ? そこにいるあいだに考えておいてよ」

 緑はこのあと予定があるらしく、通話はそこで終わった。
 光は両耳のイヤホンを外すなり、デスクに突っ伏した。勝手にため息がこぼれる。
 緑の言う通り、キャラクターが描けた方が今後のためになるのは間違いない。それに、「本気で教えるよ」なんて言ってくれる先輩がいるというのは、実際かなり恵まれている。緑の思いに応えたい。これまでとは違うスキルを磨きたい。その気持ちはある。ものすごくある。
 その一方で、「きっと無理だろう」という思いもある。どんなに技術があっても、私は描けない。
 キャラクター……人の顔だけは、どうしても。


 その夜は思南が早めに帰ってきたので、一緒に夕食を作ることにした。といっても、思南が作るのを光が手伝うという感じで、何の料理なのかはわからない。もやしやキャベツを蒸したかと思うと、小麦粉と片栗粉をボウルで練って、何かのお菓子の生地のようなものを作る。包丁でパクチーを細かく刻んだり、ピーナッツを袋に入れて麺棒で砕いたりもした。

「これは……一体どういう料理?」
「ルンビン」
「ルンビン?」
「そう。僕のふるさと……台湾ではとってもポピュラーな食べ物。光は台湾に行ったことある?」
「ちゃんとした旅行で行ったことはないけど、パラオに来る前のトランジットで立ち寄ったよ。活気というか……熱があって、いいところだね」
「熱?」
「そう。Heatじゃなくて……Passion、かな」
「You said it!!」

 思南はにこっと笑ってみせると、生地を練る手を止め、自分の左胸のあたりに手を置いた。

「そう、台湾はPassionのある国。そして、愛のある国」
「愛?」
「そう。愛というのは、恋人たちの愛だけじゃないよ。love of one’s neighbors.」
「love of one’s neighbors……隣人愛、かな」
「日本語だとそう言うのかな。人生で出会う人を、道ですれ違う人を、気にかけて、困っていたら助けてあげる。自分の家族かどうか、友達かどうかは、関係ない」

 わずかな時間しか滞在しなかったけれど、確かに台湾の人は親切だった。トランジットのあいだ、桃園空港から夜市に行こうとした光が地下鉄の駅でうろうろしていると、通りがかった人が「どうしたの?」という感じで声をかけて、乗るべき電車を教えてくれた。

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