馴らし牝(1)
鏡の中に女の姿があった。体をくねらせ、あえぎ声を押し殺しながら、女は身悶えていた。
女は全裸だった。つんと上を向いた乳房が紅潮している。その朱が首筋まで広がっている。
すらりと伸びた手足には、ほどよく筋肉がつき、見事にくびれた腰と、引き締まったお尻が、体を揺らすたびに、きれいな輪郭を浮かべていた。
こんなはずじゃなかったのに……。
鏡に映る女を見ながら、由布子は思った。
ベッドの上に両膝を立て、はしたくなく秘部をさらけ出している女。それは紛れもなく、彼女自身だった。
Mの形に開かれた両足の付け根で、男の頭が動いている。その後頭部には、わずかだが地肌が見えた。
中年男の舌淫に、身体の内側がすでに疼きはじめている。知らぬ間に腰が浮いてしまう。上体を思いっきり反らせて、もっとも恥ずかしい泉を男に向かって突き上げた。
まさか教頭先生とこんなことになるなんて……。
意識が少しずつ遠のいていく。鏡の中の女が両手で、禿げかけた頭を抱きかかえ、強く 股間に押しつけようとしているのが見える。
快感が体中に走った。堪えきれない官能の喘ぎが、由布子の口から漏れた。理性が急速に後退していくのを悟った。
ああつ、もうダメ……私、私、もう……。
細い腰が中空で激しく痙攣をはじめる。髪の毛を振り乱して、狂ったような叫びを響かせながら由布子は陶酔の淵と落ちていった。
鶴田由布子が幼い頃からの夢だった教師になったのは、3年前ことだった。
大学を出たての若い女性教師。おまけに人懐っこさを備えた由布子は、すぐに生徒たちの人気を集めた。
彼女の周りはいつも生徒たちの明るい笑顔があった。
それはまさに理想の教師像だった。生徒のことを親身に心配し、そして同時に生徒からも慕われる先生。
それが彼女の憧れだった。そんな存在になりたくて、由布子は教師になったのだ。
ところが教師生活最初の夏。そんな順風満帆の学校生活が暗転する。由布子の熱心さが思わぬ事件を起こしてしまったのである。
夏休み目前に控えたある晩、彼女は生徒の父親から「子供のことで相談したいので、うちに来てほしい」と連絡を受けた。その生徒は学校を欠席しがちで、由布子にとってただ一つの気がかりだった。
「この機会にじっくり話して二学期からちゃんと学校に来れるようにしてあげよう」
そう考えた彼女は何の疑いもなく、父親の呼び出しに応じた。
ところが、いざ家に行ってみると、そこに問題の生徒はおらず、父親が一人、ビール飲みながらだから佇んでいるだけだった。
「少しすれば帰ってくるはずだから、息子ことでも話しながら待ってください」
父親は心配気な顔で言って、彼女にもビールを勧めてきた。
もちろん、はじめ由布子は固辞した。
しかし、「うちは母親がいなくてね。私一人で育てたから、息子がこんなふうになってしまったんでしょうか」と沈痛な表情を浮かべる父親を見るうちに、つい同情心から勧められるままに何杯かのビールを付き合ったのだった。
はじめは紳士的な父親だった。だが、少し経つと、その態度は変貌していった。
ちらちらと視線が下半身に向けられているがわかる。酒が進むほどに、舐めまわすように由布子の身体を眺めるようにさえなった。
それでも由布子は我慢していた。何よりも生徒を立ち直らせたいという強い職業意識が、彼女をそこに留まらせていた。
しかし、ついに父親の手が太股に伸びてきた瞬間、由布子は席を立った。
限界だった。これ以上は、かえって問題を大きくする恐れがあった。
「息子さんも帰ってこないみたいだし、 また明日の昼間にでも来ますから」
できるだけさり気なくそう告げると、軽く会釈をして、玄関へ向かおうとした。
その時だった。由布子はものすごい力で押し倒された。父親が襲いかかってきたのだ。
「何するんですか!やめてください!」
必死に抵抗したが、父親の腕力に叶うはずもない。あっという間に、シャツを引き裂か れ、スカートと一緒にパンツを引き降ろされ、指で股間をまさぐられた。
父親がズボンのチャックを下ろすのが見えた。
「やめてっ! やめてっ!」
万力のような力で、両足が開かれていく。その間に腰を割り込まされた。父親の薄汚れた性器の先端が、秘裂に触れた。
「いやぁ!やめてぇ!いやぁぁ……」
虚しい叫びをあげた時、彼女は貫かれていた。
翌日、由布子は思い切って教頭に事実を打ち明けた。一晩、悩みに悩み抜いた結果、女としての恥辱に耐えて、教師として行動する道を選んだのである。
生徒に対して正義を教えるべき教師が、泣き寝入りなどしてはいけない、それが悩み抜いた末の彼女の結論だった。
西田教頭は黙って話を聞いていた。そして、由布子がすべてを話し終えると、静かな口調で言った。
「よく打ち明けてくれました。鶴田先生、大変でしたな。あとは私の方で処理します」
先生に報告してよかった。由布子はそう思った。昨晚以来、一人で抱えてきた大きな荷物を、ようやく下ろせた気がした。
「ご面倒をかけてすみません 。よろしくお願いします」
そう頭を下げる由布子に、西田教頭は「大丈夫、私に任せておきなさい。ただ、このことは他言しないように」と釘を刺すように言って、微かに笑ったのだった。
さすが教頭先生。私とはキャリアが違うんだわ。
そんな西田を見て、由布子は感心していた。落ち着いた様子が、何とも頼もしかった。
西田教頭から連絡があったのは、その日の夜遅くのことだった。
きっとあの後、父親と会ってくれたのね。そして、もう解決したんだわ。なんて素早い対応なんだろう……。
そんなことを考えながら、由布子は学校へ急いだ。深夜の職員室で、教頭が一人、彼女を待っていた。
「相手方の父親に会ってきました。とても反省している様子でした。妻に離婚されて、息子と二人きりで暮らしてきたのに、その息子までが最近うちを空けることが多くなって、 相当ストレスがたまっていたみたいだでした。もちろん、そんなことが言い訳になるわけじゃない。彼には厳しく言っておきました」
西田はそう事のあらましを話してくれた。
「それで彼は自首したんですか」
由布子としては、犯罪を犯した以上、自ら警察に出頭するか、逮捕されるのが当然だと 考えていたのだった。
だが、教頭の答えは、由布子の期待とは異なるものだった。
「いいですか。鶴田先生、よく考えてください。教師が生徒の父親に強姦されたなんてことが公になると学校としては、やはりイメージダウンです。もちろん先生は被害者だし、 納得いかないかもしれません。
でも、生徒の父親に犯された教師、ということになれば、鶴田先生自身も好奇の目にさらされることになるんですよ。世の中というのはそういうものです。先生にはこれからも教師を続けてもらって、たくさんの生徒を育ててもらいたいと私は思っています。
だから、このことはこれで終わりにしましょう。もう忘れることです。私の胸だけに仕舞っておきますから、先生もこれ以上問題にしないように」
由布子は、はじめ納得できなかった。これでは「もみ消し」ではないか。正義感で、感情が波立ち、反発を覚えた。
しかし、西田がこんこんと説得するのを聞いているうちに、その方がいいのかもしれない、とも思えてきた。
教頭先生は、私と学校のことを考えて薦めてくれている、私よりも何倍も長いキャリアをお持ちの教頭先生がそう言うんだったら……。
「わかりました。我頭先生のおっしゃる通りにします」
「わかってくれてよかった。きっと将来これでよかったと君にも思ってもらえるはずだよ。今日のことは、まあノラ犬に噛まれたとでも思うことです。
さあ、今夜は飲みましょう。実は ビールを買っておいたんです。たまにはハメもはずさないと。そして、忘れることです」
少しおどけたような教頭の口調が、由布子は嬉しかった。西田の優しさが心に染みてくるようだった。
そして、自分も明るく振る舞わねばと、ビールを一気に呷って見せた。
「私は大丈夫です。もうご心配はいりません。ほら、この通りですから」
「よしっ、じゃあ今晩は鶴田先生の今後の充実した教師生活を祈って、飲むとしましょう」
「はい!教頭先生」
それから由布子は、かなりのビールを飲んだ。元々アルコールには強い方だ。忌まわしい事件を忘れたいという思いが、ピッチをあげさせた。
それに親身になって自分を守ってくれた教頭と一緒だという安心感が、彼女を油断させた。
ものの一時間も経つと、彼女はすっかり酔っていた。
「教頭先生……なんらか私、酔っ払っちゃったみらいで……」
ろれつが回っていなかった。こんなことは初めてだった。
「あれっ、おかしいな。私、もうかへります……色々ありがとうござい……」
意識が急速に遠のいていった。帰らなければ……教頭先生に迷惑をかけてはいけない……。
そう思って、立ち上がろうとした瞬間、彼女は意識を失った。