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英語へのこだわりからの脱却。こだわりを捨て自由になる。こだわりが限界をもたらすこともある。

英語にこだわらなくてもいいんだ!!


英語に抱いた強迫観念的なこだわり

僕は、絵がだめでしたので、それが明らかになったのち、好きなこと、できることと言ったら、絵と同じく、幼い時から、やり続けてきた英語以外なく、その英語で生き抜くと、考え、頑張ってきました。

年齢的にも、当時、44歳と、背水の陣でした。やりたくない仕事、些末な業務が増え続ける、サービス残業、固定給をやり続けるか、少しでも、英語にかかわれることを仕事にするという最後のチャンスでした。もう後がなかった。


その気持ちは、面接では時に、非現実だと思われ、圧迫面接などでも、こだわりすぎと揶揄されたり、親しい身近な人からですら(なんでそこまで英語?)といわれる始末でした。

なんでそこまで英語英語だけできても意味ないですよ
・人生真面目に考えてますか?何言ってんですか、あなた・・
英語で人生を変える?すごいこと考えちゃってますね。アハハハ

みたいな言葉とともに、何回も面接に落とされて・・


生い立ちからくるこだわりの強化

僕は逆境に生まれ、生き抜いてきたため、これだ!と決めたことは、死んでも貫きます。他人、世の中なんて、関係ない。何が何でも、やりぬいてやる。何十年だって、何百万かかったってかまわない・・みたいな意固地、頑固さがあるんです。ママに捨てられ、6歳から、生き抜いてきました。それが可能だったのは、この岩壁をも貫く意志力と、目標達成に関する執念深さです。息の長い努力をものともしません。つまり、徹底して、こだわる性格だということです。このため、こだわりを持つと、その障害を人一倍受けやすいです。何かにこだわるということは、強みでもある半面、視野を狭くしてしまう等、マイナスの部分もあると思います。僕は性格上、一つにこだわりがちで、それが理由で、失ったチャンスも多くあると思っています。


行き過ぎたこだわりは限界感をもたらす

物事にこだわりすぎると、それが限界をもたらすということも起こりえます。何が何でも英語・・・あるいは○○なんだ!と、考えたり、行動するということは、こだわり以外は、選択肢から、除去されるということです。それは、一方通行です。もし、こだわらなければ、数々の迂回ルート、可能性があるかもしれないのに、その道を閉ざしてしまう面もあるのです。


運がよかったに過ぎない

しかし、たまたま、僕は運がよかった。そのこだわりは、機会にも恵まれ、45歳の時の英文事務に正規雇用され、その2年で、英検1級も崩し、47歳の時、ついに子供のころからの夢だった通訳職への転職という形で、結実しました。


確かに大好きな英語でご飯が食べれる、それが仕事である、人生の武器、職歴にしていける、夢をかなえたという分では、素晴らしいことでした。英文事務も、通訳も、挑戦の気持ちとして、ついた仕事ですが、やりがいもあり素晴らしいものです。


しかし、通訳として、ネイティヴ、ハーフ、海外育ちの方と職場を共にして、かかわるようになり、視点が変わってきました。こういう人たちは生まれた時、あるいは、子供時代から、自然、英語の中で過ごしてきて、英語を苦も無く、普通に操れる人たちです。彼らにとって、英語は母国語です。通訳の技能は、見ていて惚れ惚れとします。


ネイティヴたちとの、英語のこだわり、英語観の違い

そして、彼等には英語のこだわり(何が何でも、英語で働く、英語で何かする)がありません。僕のような何が何でも、英語で生きるんだ!という力んだ人はいませんでした。

はじめ、僕は、それは

彼らが英語ネイティヴであり、英語を自然に使い、その中で生きてきたからじゃないか?英語が当たり前だから、意識するまでもないのでは?

と仮説を立てました。

僕は英語検定も44歳を過ぎてから目指して、取得してきたし、初めて英語で働けたのは45歳の時でした。英語はまだまだだし、ニュージーランド大学院就学もしたいと思っている。英語経験の過渡にある。だから、こだわりも強いのだと。

彼らは当然、英語で大学まで経験し、多くの職場で、英語を武器にした人生を歩んでいますが、経歴も様々でした。


英語自然話者からの一言

そんなある日、通訳の一人の先輩が

「英語で何かするとか、働くとか、こだわらなくてもいい。なにも、絶対、英語を専門にする必要はない。英語で貢献したいなら地域の英語ボランティアだってある。私はそれに登録している。英語は自分の一つの側面とみて、こだわりすぎないで、仕事や生活を選択したほうがよい」

と、アドバイスしてくれて、前のめりのアンバランスな気持ちがほぐされていきました。


行き過ぎに気が付く

僕は、英語に徹底して、こだわってきました。勉強も、仕事を選ぶうえでも。恐れず、英語の夢のため、リスクを冒して、何回も転職だってした。あらゆることを捨てて、英語にすべて投下してきた。睡眠を削り、英語をやって倒れたことすらある。それは執念に近かった。そこまで、こだわったから、今があり、それは後悔していませんが、少し常軌を逸していた、、いびつだなとも、最近、思うようになれたのです。こういう面を面接では、捕らえられたんだと思います。


到達できない次元との折り合いをつける

こうしたネイティヴ、ハーフ、幼少期から海外で生きてきた人の英語には、自分がいくら努力ても、到達できないな‥と、通訳として働く中で、明らかにもなりました。(努力が無駄とか、英語をだからやる意味はないんだという意味じゃなくて・・)また、2,3歳から、英語環境に身をおいて、わずか、4年程度で、英語で思考し苦も無く話す児童を多く目にする機会もあり・・・・自分の英語へのこだわり・・そうした次元を目指すことにも、徒労を感じるようになりました‥。


こだわりを捨ていていく

英語と自分、その目的を明確に理解し、あらゆる可能性の一つと、考え直すことが最近、できるようになりました。今でも、英語習得は、ニュージーランド大学院就学の夢の実現のため、また、人生のゴールの志を遂げる腕、最重要ですが、それと、何が何でも、英語、英語しかないというこれまでのこだわりは、また別だと思えるようになりました。英語学習者は、いつしか、こうしたこだわりと、ある程度、距離を置かないと、燃え尽きてしまうと思います。


ネイティヴに限りなく近く英語を話せるようになりたい
何が何でも、英語で働いて、専門としたい
英語だけがすべて、英語しかないんだ
留学は絶対やり遂げなくてはいけない
あの英語検定は死んでも崩したい


など、大切なこととは思いますが、それより、自分、人生、機会を見据えて、それらを阻害しない英語人生を送ることも大切だと思う次第です。


何が何でも英語という狭い考えからの脱却を目指して


最近では何が何でも、英語で働いて、英語を専門とし、英語で人生を生き抜くという狭い決意から、脱却しつつあります。英語は今でも、僕の人生の大切な場所を占めますが、それにこだわらず、目を曇らせず、人生の機会、成長のチャンスをつかんでいきたいと考えています。


・人生の現在の状況
・自分が自由にできるお金
・年齢

という要素が混ざり合い、そのこだわりが、あの時のあなた(若い頃のあなた)には、最適解でも、現在のあなたには、最適解ではない場合が起こってきます。そうした際に、こだわりを貫き、狭い視野と、選択肢のままとどまるか?こだわりを捨てて、限界点を超えるか・・・皆さんも、いずれは、ご自身が持つこだわりと再び向き合う日が来ると思います。


これまでの何が何でも英語ありきの自分ではなく、自分の中の一要素として英語を大切に生きていきたいと思います。


執筆者
名前:Masa 
職業:通訳
取得英語検定:実用英語技能検定1級
海外体験:Working Holiday in New Zealand 等、多数



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Masa/楽しく通訳、英語学習
子供の頃から、絵を描くことが大好きです!オリジナルキャラのペン画を制作しています。いい絵を描ける日が来ればいいと思い、日々、制作しています。ニュージーランドにつながるための道としての英語学習、TOEIC900点トライ!も、継続中です。サポートしていただけたら、ありがたいです!!