上原重雄陸軍中佐戦死の碑 (愛川町日記 2015年6月14日より転載)
今日は愛川町から小田原へ
ちょいと渋いかもしれませんが
上原重雄陸軍中佐戦死の碑です。
小田原市沼代にあります
戦時中、愛川町相模飛行場から出撃し、アメリカ軍艦載機600機にたった一人で立ち向かった男です。
かれは撃墜され、この近くに墜落し、命を失ないます。
しかも、彼の部隊は朝鮮半島への転身が決まっていて、出撃する必要はありませんでした。
悔しかったんでしょうね、と推測しますが
いまとなっては彼の想いを察することはできません。
上原中佐に関しては、出撃地の愛川町で取材は終わっているのですが
あくまでも「収録」がおわったのであって
「取材」は、やはりここまで来てから終了ですね。
しかし、本当に地元の人から篤く弔われているのがわかります。
アジサイがきれいたむけられてますしね。
ちなみに
奇妙か形をしている「碑」は
上原中佐が最期に乗っていた陸軍四式戦闘機「疾風」のプロペラの一部です。
愛川町相模飛行場が訓練基地が戦闘機迎撃基地へ移り変わり
アメリカ軍襲来機数600機という数字がの攻撃の苛烈さを物語ります。
彼もまた
愛川町の歴史の一人なのです。
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