【イタリア暮らし】Mi sono trasferita in Piemonte.ピエモンテ州に引っ越ししました。
2023年4月27日、ミラノ北部からピエモンテ州のNizza Monferratoの近くの田舎に引っ越しをしました。
★イタリア語で【私は引っ越しをした】はどうやって言う?
①再帰動詞を使って
Mi sono trasferito/a in Piemonte.
②「引っ越し」という名詞を目的語として使って
Ho fatto il trasloco.
いやはや本当に、人生というものは!!!何が起こるか分からん!!!を
大声で叫びたくなる出来事がこの3年間は目白押し。都会育ちの私が、田舎へ移住するなんて。
簡単にここまでの経緯を言うと、、
イタリア生活19年目
2019年7月
リグーリア海岸に夫婦で海水浴に行った帰り、内陸のピエモンテ州に当日予約で宿泊。オーナー夫妻と初めて会ったとは思えない友情が生まれる
https://lalunabuona.com/
2019年7月~12月
彼らの宿に通い詰める事、8回ほど。まるで田舎に親戚が出来たような感じで、kmゼロの美味しい物、自然の移り変わりを楽しむ。バカンスの家を、
この土地に購入したいと思うようになる。
2020年2月
コロナ勃発、コロナ期間長引き、夫婦ともに自宅勤務となる。どこに居ても仕事ができる!田舎滞在にうってつけの条件が揃う。
2020年4月~
宿に通いながら物件探しをする私達を見て、オーナー夫妻が、彼らの持っている空き家を賃貸しないかという提案をもらう。渡りに船で、トライアルの田舎滞在を開始。都会と田舎を行ったり来たりする生活を始める。
長期滞在して初めて知る、自然の美しさ喜びと共に、厳しさ不便さも体験。
田舎の家、本当に私達に必要なのか?その前に私たちは田舎で生活できるのか? "Ce la faremo veramente?" を自分たちに問いかけながら、2年間、家を探し続ける。
条件に合う自分たちの気に入る家はないのではないかと何度も思ったし、オファーを出しても、折り合いがつかなかった家もある。
2021年10月
田舎家に1匹のワンコが迷い込んでくる。この子の登場が、私達の田舎移住の確信を後押ししたことは間違いない。
2021年11月
まだ家は見つからない。借りていた空き家のオーナー夫妻と話しているうちに、この空き家をこのまま長期賃貸のまま、一緒に改装をしてb&bを経営しようかというような話が出る。
2020年から、Kumitalia https://www.instagram.com/kumitalia/ を立ち上げ、
イタリア語をオンラインで教え始めていた私の夢、生徒さんにここに来てもらうことも夢ではないと心が弾む。2022年の春を目指して、、という話になるのだが、、
2022年3月
最初の数歩だけで、全く進まない改装工事。はじめは賛成していた共同オーナーとの話がまとまらなくなり、この話は、私の50歳の誕生日の1日前におじゃんとなる。50歳を機に、新しいスタートをと思っていた私にとってショックだったけど、なぜかどこかでホッとしていたところもあった。ここまでの歩みを見て、共同で改装、運営ということに不安が出てきていたのだと思う。
2022年10月
おじゃんとなった計画により、なんとなくいろいろな気持ちが萎える。イタリアがコロナから完全に脱出しだしたのもこの頃、世の中の雰囲気も徐々にもとに戻り、なんだかコロナ中に起こったことの全てが幻のように思えた瞬間もあった。先に向かうプロジェクトがなくなったことを理由に、2022年内で賃貸の契約を終了することにする。物件は見続けてはいたが、この時点ではなにも見つかっていない。
賃貸の修了とプロジェクトの中止で手元のカードが全てなくなったような気がして残念だったが、この経験があったからこそ、私たち夫婦の本当に納得いく家を探したいという気持ちが強くなっていた。
さらに、ラーラが家族になってから1年たっていた。狩猟犬で思いっきり走る必要があるこの子のためには庭付きの家が必要。1年中住みたくなる、住める家が見つかるだろうか。
都会を離れる決心はすぐに沸いたのではなく、このようないろいろな体験をくりかえすことによって、進退を繰り返しながら、徐々に固まった感じだった。
★イタリア語では、バカンスの家の事を la seconda casa 「2番目の家」と呼ぶ。その逆に居住権を置く家は、la prima casa 「1番目の家」と呼ぶ。税率などに大きな違いがあるのだ。この頃には、私達夫婦は、la prima casa になりうる物件を探していた。
2022年11月中旬
不動産屋のHPをくまなく調べるのが日課になっていた私の目に留まった一つの新しい広告。賃貸の契約を切ると伝えたら、この広告が飛び込んできた。
★イタリア語にある言い回しを思い出した瞬間
Quando si chiede una porta, si aprre un porone.
ひとつの扉を閉めると、もうひとつのより大きな扉が開く。
こんなところで、一つ単語で違いを出せるイタリア語のチャーミングな所が大好き!
una porta 普通の扉
una portONE oneをつける事で、そのもの自体が大きいgrandeな事を示す事ができる。イタリア語でgrandeはポジティブな意味、つまりここでは
ひとつの扉(終了)を決めると、もうひとつのより大きな(より素晴らしい)扉(始まり)が開くと言っているのだ!
今までの紆余曲折が嘘のように、2回の視察で購入を決定。考えられない速さで物事が進む。オーナー夫妻はスイス人とリヒテンシュタイン人のご夫婦。20年間、バカンスの家として使用した家を高齢のために売却すると言う。
はじめて視察した時に、この家に居る自分が想像できた。それは、初めての感覚だった。この家が私たちの家になりますようにと、心の中でお祈りした。もうひとつのこの家に惚れこんだ理由は、オーナー夫妻に心から愛された家だという事が分かったから。家だけではなく、庭の木々や花たちまで、どれだけ愛され、大切にされていたかは一目瞭然だった。
2022年12月初旬
他にもオファーを出した人が居たにも拘わらず、幸運の女神は私達に微笑んだ。あっという間に、もとの家が売れてもないのにこの家を購入することになる。
2022年12月20日頃
住んでいた家を売りに出す。2,3年はかかるのは普通と言われたのに、、
2023年1月初旬
2人目の見学者に家が売れそうだと、日本帰国中の私に連絡が入る。売却までの期間は、イタリア中がストップするクリスマス、お正月を含む、たったの3週間だった。驚いたのなんのって!こんなことあるんだ。まさに una portone が大きく開いて、私達を迎え入れてくれたのだ!
2023年4月末
3月中旬に日本から戻り、怒涛の如く引っ越し準備をして、ピエモンテ州に引っ越しした。
人生、どこに行くことになるのか、本当に分からない。
私にとっての4つ目の大きな移動、これまでの3つのように
ここからの未来を変える選択になることは間違いない。
人生いつまでもワクワクしていたい。
私にとって、移動はワクワクでしかない。
大好きな言葉は、冒険と挑戦=始まり。
人、物、土地、全てとの出会いを思いっきり愉しむこと。
移動の歴史
25歳
神戸から関空で働くために、泉南で人生初の一人暮らし
28歳
フィレンツェへ単身留学
30歳
就職のためにミラノへ移動
51歳
フリーランスとなりピエモンテ州の田舎へ移動