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03 選択的子なしと母性

自分は母性が欠落した人間だと思っていた。無条件に子どもを可愛いと思ったことなんてないし、フードコートでは他人の子の声に気が散って食事が出来なくなるほどだったから。

周囲の、とりわけ女性が、小さな子どもを見て大きな声で「可愛い〜」と言う姿は「そんな風に言う私は、母性があって優しく良い人間です」というアピールなのだと勝手に解釈していたくらいだ。

そんなこんなで自分は子どもが苦手なタイプだと認識しており、夫とは「子どもはいなくてOK」という合意のもと結婚した。

しかし27歳になって、自分の人生を50代、60代、そして死に際、と想像した時に、自分と夫の子どもに会ってみたかった、と後悔する未来がうっすら見えた。
そしてその瞬間、子どもを産み育てたいという野望が芽生えたのだ。そして今、2人の子の母として生きている。

現在の私は、確かに母性を持ち合わせている。
何か具体的な行動が出来るほどの強い思いではないけれど、すべての子どもに幸あれと願っているし、これまでは平気だった、子どもが悲しい思いをするシーンがある映画などは辛すぎて見ることが出来なくなった。

母性について「母性がある、ない」などと有無という言葉を使って表現することがあるが、私は自身の経験から、「気付く」タイプや、「育つ」タイプの母性もあると思っている。

子を持たない人生を選択をする人が増えており、「自分に母性がない」と認識している人も多いかもしれない。
しかし、何事も決めつける必要はないし、いつだって自分の考えは更新していく必要がある。

リアルで対面する選択的子なしの人に対しては、彼らの背景を知らない身でそんなこと口が裂けても言えないが、
「死に際に、子どもを育ててみたかったと思ってしまう可能性がないか」と問うてみたい気もする。

彼らの選択を責める気はないし、何かしらの確固とした理由を持って子は持たないと決めているのであれば、他人がとやかく言うことは間違っている。

しかし、かつての私のように「自分には母性がない」と思っているのであれば、後々後悔しないためにも、節目節目で改めて自分の気持ちを確かめてみても良いかもしれない。

最後に、生まれながらに母性のようなものを持ち合わせている人間が一定数いる事も事実であると明記しておきたい。

0歳の娘を抱えて、2歳の息子を保育園に迎えにいくと、赤ちゃんだ!触りたがる子と見向きもしない子がいる。

自分たちだって、ついさっきまで赤ちゃんだったくせに、自分より小さな子どもに対して世話を焼きたがるその気持ちに感動した。
そんな、母性エリートの存在が、非エリートの自信をなくすきっかけにもなり得るのだが、エリートはエリートなのだ。

エリートでなくたって、眠っている母性の種が芽を出し、知らなかった自分と遭遇する可能性は存分にあると思う。

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