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「みんなちがって みんないい」から一歩進んで考えたこと

金子みすゞさんの詩で詠われた「みんなちがって みんないい」というフレーズ。

結構いろんな人が口にすることが多いから、聞いたことある人も多いだろう。私も、「ありのままの自分でいいよ」、と言ってもらえているようで好きなフレーズだ。

「みんなちがって みんなどうでもいい」の救い

それが最近、落合陽一さんが、「みんなちがって みんなどうでもいい」くらいの方がいいよね、と言ってて、それもそうだと膝を打った。

なぜかというと、母親になってから、これまでなかったような「アドバイス」や「非難」を他人から受けることが急に増えたからだ。

「赤ちゃんとお母さんはやっぱりベッタリ一緒にいた方がいいわよ」

「母乳がいちばんだからね」

「仕事より子供といる時間の方が大事よ」

私とあなたとは全く別人格、なんなら、生きた時代も場所も環境も価値観も全部違うのに、急に「母親」という共通項だけで、自分の個人的な母親経験から、いらぬアドバイスをしてくる人。

「関係ないし。ほっといてよ。」って思うんだけど、自分の生き方を否定されるようなことを言われると、ジワジワと来るんだよね。

あとは、やっぱり自分の子育てに自信がないから、周りが気になってしまうこと。子供はひとりひとり違うし、家庭の方針もそれぞれ違ってていい、と思うんだけど。子供のこととなると、やっぱり自分のこと以上に周りのことが気になってしまう。そして周りからどう見られているかも。

そんな中、この「みんなちがって みんなどうでもいい」は、すごく救いだなと思った。自分がそんな人間関係で疲弊している時、「みんなちがって みんなどうでもいい」を心の中で唱えると、ちょっと楽になれる気がする。

コミュニティでは「みんなちがって みんな尊い」

「みんなどうでもいい」は、時に救いではあるけれど、コミュニティで考えた時は、ちょっとバラバラ感が出てしまうのも事実。

そんな時、この言葉に対して、真剣に考え、「みんなちがって みんな尊い」という言葉に辿り着いた、母親アップデートコミュニティ(HUC)代表のなつみっくす。

これまたきれいごとになってしまうかもですが、「いい」って言葉には、いい or 悪いのジャッジが入っている気がして、そういうことではなく、それぞれが尊い存在なんだと。

なるほど。いい、悪い、じゃなくて、そこにいるだけで存在を尊重する、ってことなのかな。

確かに、なつみっくすは「尊い」という言葉をよく使っているけど、そういうことだったのね、と納得。

さっきも書いたとおり、「母親」というのは、本来ものすごく多様なのに、「こうすべき」「こうあるべき」に捕らわれがちでもある。

そんな中で、みんな、自分が信じる道を必死で選んで生きている。

これはとても尊いことかもしれない。

価値観や生き方のチョイスはそれぞれ違うから、必ずしも「それいいね」と同意できることばかりではない。それを強制するというのも違う。

それでも、「うん、同意はできないけど、そうやって思うあなたは、それはそれで尊い」ということなんだな。理想だけど、まさに全力で目指すに値する理想だと思う。

私は、マインドフルネスの慈悲瞑想でも、「生きとし生けるものすべての幸せ」を心から願えなかったくらいの心の狭い人間なので、「みんなちがって みんなどうでもいい」をポケットに常備しつつ、この温かいHUCコミュニティの中から「みんな尊い」の境地を目指すことを始めていきたい。

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