【ゲーム考察】「ドット絵ゲーム」に魅力はあるか!?
今回は、ドット絵のゲームについて語ってみたいと思います。ドット絵の定義ですが、ここで言う「ドット絵」とはキャラクターチップを64pixel以下で表現したような、ドット表現の中でも粗いもの、記号的な映像表現を指して言うものとします。『スーパーマリオ』の映像のイメージです。
最近、実写のようにリアルなゲームを遊んでいると映像の作り込みに驚かされます。一方で、「ドット絵ゲーム」と聞くとあなたはどう感じるでしょうか?古臭い感じや、手抜き感・物足りなさを感じますか?開発ツールを使えば、個人でも美麗なグラフィックのゲームが作れるという時代に、もうドット絵ゲームの出る幕はないように思われます。少なくとも、新作ゲームとして開発されることはほとんどないでしょう。
ですが私は、昔のドット絵のゲームを遊んでみても、それはそれで十分に楽しく、映像面でも満足しているのです。それどころか、古臭い「ドット絵」だからこその魅力を感じています。その魅力を一言でいうならば、最も自由なゲームだということです。
ドット絵の魅力と問題点
話が矛盾するようで申し訳ないのですが、私自身、特段2Dゲーム・ドット絵ゲームが好きというわけではありません。子供時代は否応なく(?)ドット絵ゲームを遊んできましたが、今は人気のインディーゲームが出た時や、レトロゲームをやりたくなった時、たまに触れるといったところです。恐らく多くの方と同じように、あの「四角いキャラクター」に良い面と悪い面を感じており、それは次のようなものです…
〇良い点
・操作の簡単さといった「お手軽感」
・リアルではないという自由
・表現規制の回避
・開発の負担が少ない
〇悪い点
・手抜き感・物足りなさ
・古臭いということに対する漠然とした抵抗
悪い点についてこれ以上語ることはやめておきましょう。上に挙げた良い点を掘り下げていきたいのですが、今回は開発者視点のメリットについては省略し、プレイヤーの視点からドット絵の魅力(ドット絵ゲームにありがちな要素)を考察していきたいと思います。
お手軽はありがたい
お手軽はありがたいのです。大人になって新しいゲームの操作やシステムを覚えることは時間の面、気持ちの面、あるいは衰えからか、なかなかに大変なものです。私の感想を言わせてもらえば、PSだと先ずコントローラーのボタンからして多い。一体どのボタンで何ができるのか、ゲームを楽しめるまでに時間が掛かります。「そんなに複雑な要素がなければ面白くならないのか?」と思ってしまうんです。
その点ドット絵ゲームというものは、多くの場合、そのグラフィックに伴って操作・システムも単純に作られていますので、小さな子供だけでなく大人にとっても優しいゲームですね。また、シンプルさ故にドット絵で面白いようなゲームは、『マインクラフト』や『アンダーテール』、レトロゲームなど長く親しまれるヒット作になりやすいということも言えます。
リアルではないという自由
先ず、ここで挙げるのは暴力表現や性表現といった表現規制の話ではありません。我々はゲームをプレイするとき、グラフィックがリアルになるほど没入感が高まります。主人公で言えば、より人間に近い主人公ほど感情移入しやすいですよね。しかし同時に、没入感が高まるとプレイヤーはゲーム内に存在する「不自然さ」に目が向くようになるのです。そして、そのことはシステムにおいても、ある種の制約を生みます。
有名なタイトル『ドラクエ』を例にとってみます。昔からドラクエでは主人公は住民の家に入っていき、タンスを開けたり、壺を割ったりして探索することができます。そうした方が面白いのだとしても、最新作の11(2017年)くらいグラフィックが緻密になってくると私はプレイ中、他人の家の壺を割って探索する主人公の行動に昔よりも違和感を持ちました。それを「不自然な行動」と感じたのでしょう。さらに言うと、ドラクエには自分を動かしている感覚を強めるため、主人公のセリフがありません。しかし、主人公以外のキャラクターが会話をしているムービーシーンで、主人公が頑なに喋らないという「伝統」も今日に至っては限界を感じます。
これらはドット絵の頃には特に気にならなかったのに、グラフィックが緻密になってくると不自然に感じるという例です。ましてドラクエはデフォルメされた世界観ですので、これが実写のようにリアルなゲームとなれば尚更でしょう。リアルじゃないからこそできる表現があり、楽しめる表現があるということですね。
近年私がプレイして面白かったドット絵ゲームを挙げると『マインクラフト』『テラリア』それから『勇者のくせに生意気だ』などがあります。中でも『勇者のくせに生意気だ』、通称「ゆうなま」はそのドット絵の画面を見て、面白そうだと思い購入しました。細かい感想は省略しますが、実際プレイしてみて、少し忙しいゲームながら期待通り面白いものでした。いずれもシステム面で高い評価を得ているタイトルであり、ドット絵だったからこそ不自然さを感じることなく楽しむことができたのでしょう。
表現規制の回避
今度は規制の話です。対象年齢などを審査している『cero』では「性表現」「暴力表現」「反社会的行為表現」「言語・思想関連表現」の各項目を規制対象の表現としているそうです。また、それだけでなく近年では性別や人種などによる差別表現を無くそうという動きも強くなってきており、ゲームにおいても、これらを意識した表現を行わなくてはなりません。その点ドット絵は抽象的に、そしてコミカルに表現できるためシステム面での制約は少ないでしょう。
特に私が強調したいのはゲーム性に大きく関わってくる「暴力表現」の部分です。ゲームは基本的に敵を倒すものが多いので、ここに規制(自粛)が入ると一気に面白くなくなる可能性があります。もちろんドット絵でなくとも工夫はできるでしょうが、ドットに勝る規制回避はありません。ファミコン時代にあったような、記号表現だからこそできるハチャメチャなゲームに、今後も出てきてほしいところです。
「ドット表現」と「アニメのようなデフォルメ表現」
ドット絵と似た表現にアニメのようなデフォルメ表現があります。言うまでもありませんが、共にキャラクター化しやすく、ファンタジーを描きやすいという共通点がある他、表現をマイルドにし、規制を回避することで自由な表現を可能にするという効果を持っています。これはドット絵の発展形として最適な形態と言えるでしょう。
違いを挙げるならば、デフォルメされた世界観は、その「世界観」に強く縛られることになるため、そういう意味での制約はあります。さらに、デフォルメ表現であっても緻密になり、リアルに近づけば、上に挙げたドラクエの例と同様の問題が起きてきます。
ドット絵に未来はあるか?
今後のゲームは、あえてドット絵表現にこだわる必要はないのかもしれません。実際のところドット絵ゲームに魅力を感じていたとしても、世界最大のゲームイベント「E3」の場で、大手メーカーが「5年をかけて制作した最新作です」と言ってドット絵のゲームを出して来たら、それは笑ってしまいます。プレイヤーは映像面での満足がなければ物足りなくなっているのも事実です。
ですが「ドット絵ゲーム」は、キャラクターやストーリー、世界観などではなく、攻略するという遊びを最も体現したゲームではないでしょうか。「攻略する」とは実にゲームらしい体験だと思うのです。
お読み頂きありがとうございました。ではまた。
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