「話したい人」と「聞かされたくない人」の攻防 コミュニケーションコストについて
しつこく陰謀論について考えていたところ、このマンガのようなケースの場合、陰謀論そのものでなく、お母さんからの一方的なコミュニケーションが問題な気がしてきた。
こんな風に四六時中LINEをピコピコ鳴らされて、自分が全く関心がない情報を一方的に送りつけられたなら、仮にそのトピックがヨン様だったとしても、やっぱり迷惑なんじゃないだろうか?
逆に陰謀論にはまっていたとしても、帰省時にのぼる話題の一つ程度なら、主人公もこんなに悩むことはなかったのでは?
過去noteで「通りすがりの誰かへの自分語り」について考察してみたけれど、双方向の会話ではない、「誰かに一方的に話したい」欲求は、誰にでもあるのかもしれない。
例えば、コールセンターに特定の担当者を名指しで電話してきたり、店舗で同じ商品の返品交換を繰り返すような常連クレーマー、話を聞いてほしいがために小さな商店に長時間居座るお客などの話は、小売業あるあるだ。
相手が逃げられない状況で、相手より「上」の立場で、一方的に喋れる状況を手に入れるには、顧客という立場になるのが一番手っ取り早い。
赤ん坊を連れていると年配の人から声をかけられやすいのも、実は同じ状況かもしれない。
「あらあら、かわいいわねぇ」と声をかけられるのは、最初の頃は単純に嬉しかったけれど、その後もれなく自分語りが始まる状況に慣れて冷静に考えてみると、「赤ちゃん」は通りすがりの相手に声をかけるための、都合のいい口火なだけの気がしてきた。
特にバスや電車待ちだったり、ベビーカーを押していると逃げ場がなく、さらにうがった見方をすると「赤ん坊を連れた母親」というのは自分より弱い立場だと認識されているのかもしれない。
実際、子どもがベビーカーに乗る年齢でなくなると、話しかけられることは全くなくなった。
最近、ビジネス界で「コミュニケーションコストの削減」という言葉が使われているのを知った。
言われてみれば、企業のカスタマーセンターはチャットBotだったり、オンライン手続きに誘導する音声ガイダンスだったり、そもそも電話番号自体を公開していなかったりする。どうしても人間と話そうとすると有料ナビダイヤルで会話そのものに課金される場合もある。
コンビニでは、地方ですら外国人スタッフが多くなり、先日「日本語初心者です」とプレートを付けた留学生を見かけた。
日本語ができないとバイト大変じゃないのかなぁと勝手に想像していたけど、スタッフと世間話をしたがるお客も避けられるし、日本人の性格からして言葉が通じない相手にはクレームしづらい気もする。
もしかして、世間が言うように人手不足だけが理由でなく、言葉が通じないことによりコミュニケーションコストを削減できるという逆説的なメリットもあるのかも。
コロナの影響やデジタル化もあって「人間とのコミュニケーションそのもの」がどんどん削減されているのは確かだろう。
そうなると、人の「一方的に話したい」欲求は、今はどこに向かって、どこで消化されているんだろう?全く思い浮かばない…
誰かと話したくて買い物に出かけても会計はセルフレジ、クレームの電話をかければAIが対応。個人商店は経営者の高齢化で閉店。赤ちゃん連れの母親に話しかけようにも、出生人数が年々減少して滅多に見かけない。スナックやバーや人間が接客してくれるような店も、コロナ禍中はおそらく行きづらかっただろう。
人間との接点がどんどん減って「自分が得た目新しい情報を一方的に誰かに話したい」欲求を消化できないがために、「遠方にいる家族」や「SNSでの発信」や「街頭活動」に向かってしまう可能性もあるんじゃないだろうか?
一方的な発信には、SNSは都合がいい。
ただ、電話よりはマシかもしれないけれど、読むこととコメントを期待されるようなLINEやFacebookだと、受信する側には時間的、精神的なコミュニケーションコストが結構かかっている気がする。
新しいChatGPTが、より人間に近い返答をしてくれると話題になっているけれど、こういった機能で自分の代わりに自動返信をしてくれるアプリはないだろうか?
「〇〇からのメッセージには、受診して1時間経過後/全面的に賛同する内容/メッセージ回数を減らす方向性/返信」「こちらからは週1回のペース/相手の身体を気遣うような無難な内容/発信」のような設定ができたら?
それとも、絶妙な返答で自分を満足させてくれていた相手が実はAIだったと後で知ったら、人はやっぱり悲しいだろうか?
話を聞いてくれる相手が人間でなくAIでもいい、むしろ「遠くの家族より近くのAI」という未来は近いうちにやって来るんだろうか。
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