どうして陰謀論にはまるのか?①怪しいものへの免疫がないから?
note記事が元になっているマンガ「母親を陰謀論で失った」。
Youtube経由で陰謀論に傾倒していくお母さんと、それに振り回されて苦悩する家族の葛藤が描かれている。
主人公曰く「はまっているのはいたって普通の人」だそう。陰謀論との出会い方やタイミングによっては、私も作中のお母さんのように夢中になっていたかもしれないし、逆に振り回される家族の側になっていたかもしれない。
どうして陰謀論にはまってしまうのか、考察してみようと思う。
陰謀論と聞いてまず浮かぶのが、本家本元の月刊ムー。
ムーの見解はどうなんだろう?と検索したところ、三上編集長がドンピシャなことを語っていた。
そうだ、70年代の小学生は怪しいものに囲まれて育った。アニメは妖怪や怪獣だらけ、地上波のゴールデンタイムの番組ですらUFOや心霊など怪しさてんこ盛り、クラスでは月刊ムーを回し読みしていた。
確かに、怪しいものリテラシーは高い。
今回の陰謀論についても、昔はフリーメーソンだったけど今の流行りはイルミナティとディープステートなんだ、ワクチン陰謀論は昔からある、グレートリセットの元ネタは2000年問題?旬なトピックの暗号資産やベーシックインカムと絡めているのがおもしろい。
といった感じで、さほど目新しさは感じなかった。
うろ覚えだけれど、オカルトブームはその後もっとマニアックに過激になっていって、バブル末期頃がピークだった気がする。
1995年のオウム真理教の事件をきっかけにオカルトバッシングがあったんだったか、単にブームが終わったかで、マスメディアでは怪しいものを目にすることはなくなった。
その後の30年間、もし情報源がテレビと新聞だけだったとすれば、怪しいもの免疫をつける機会は全くなかったはず。ゼロコロナならぬゼロオカルトの30年だ。
免疫が弱まっていると、接触した瞬間に一気に影響を受けてしまうという意味では、情報はウイルスと同じなのかもしれない。
すでに自分が、家族がはまってしまっている場合は、どうしたらいいんだろう?
三上編集長は、別記事で「ムーを読んで怪しいものリテラシーを高める」ことを説いていたけれど、確かに動画や会話より、文字媒体の方が人をクールダウンさせてくれる気がする。
ムーは常に「かもしれない」の世界だ。
ムー読者は記事を信じる訳ではなく、嘘かホントかの行間を読み深堀りしたりして、情報のあいまいさを怖がったり楽しんだりしている。
思考訓練にはピッタリだ。
逆張りで、陰謀論よりずっと怪しいその内容にドン引きして、現実に戻るかもしれない。
もし、自分が知ったことを誰かに伝えたい願望があったら、口頭や短文SNSではなく、メールなどでの文章化を勧めるのは?ブログやnoteへ投稿するとか。
note記事を書いてみるとよくわかるけれども、文章を書くという行為は時間もかかるし、冷静に自分を振り返るためのいい手段だと思う。
少なくとも、自分の発信欲求のために、他の誰かの時間を奪わずに済む。
久しぶりにムーを読んだけれど、やっぱりおもしろい。
それにしても、もしそんなヤバい闇組織があったら、チャンネル自体が即BANされてるはず。もしかしたらユーチューバーを操っている黒幕がいるかもしれない。視聴数を上げて収益を増やすためのユーチューバーの陰謀か。
すべての企業活動も利益を上げるための陰謀だし、今晩のおかずに細かく刻んだ野菜が入っているのも子どもに野菜を食べさせるための母の陰謀かもしれない。世の中には陰謀があふれている。
陰謀論は信じるんじゃなくて、おもしろがる方がいいかな。