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通りすがりの見知らぬ誰かへの自分語り
引き続き「HORIE ONE」麻布競馬場(アザケイ)さん回の話。
ネタ収集ついて問われたアザケイさんが「飲みに行った時、初対面の相手だと逆に警戒されない。二度と会わないかもしれないから。人に言えない話もポロっと言ってくれる。」と話していた。
これある!
東京でよく出会ったのは、タクシー運転手さんの自分語り。九州から出稼ぎに来て家に月15万ずつ送金しているけど10年間一度も帰っていない、あるいは元ヨメと長く会っていない子どもの話。
地方でもあるある。幼い子どもを連れていると、バスや電車待ち中に年配の女性に話かけられることが頻繁にあった。「あらあらかわいいわねぇ。何か月?」から始まる会話は、孫自慢、ヨメへの愚痴、息子が結婚しない問題のいずれかにもれなく展開する。
見ず知らずの人間に個人を特定できるような情報もらしてまずくない?友達や家族とでも話せばいいのに、といつも思っていたけれど、アザケイさんの言葉を聞いてピンときた。
「二度と会うことのない通りすがりの誰か」に話したいんだ。
自分語りはしたいけれど、友達や半知り相手だと、自慢やマウントと取られるかもしれない。ジャッジもアドバイスもされたくないし、自分の惨めさをさらけたくもない。
かつて東京に10年近く住んでいたけれど、全くの生活圏の違う友達と偶然に出くわしたのは、たったの2度だけだった。全4戸だけのアパートでも、数百世帯の分譲マンションでも、隣に住む誰かと顔見知りにすらなることはなかった。
そして、365日居場所ホッピングできるくらい、バーでも居酒屋でも単発イベントでもたくさんある。常連にならずに、常に初対面状態で、アザケイかもしれない知らない誰かと、ポロっとした会話を楽しめるわけだ。
見知らぬ他者が供給され続け、どこに行っても半知りに会わない気楽さ。
その点において、やっぱり東京は羨ましいなと思う。
「現代の孤独=つながり、コミュニティーが必要」と語られがちだけれど、「見知らぬ他者」「つながらない関係」も、実は誰しもが必要としているんじゃないだろうか?
半知り問題についてモヤモヤ考えて続けているけれど、そのヒントになりそうな気がする。