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リアルのもつ力ってなんだろう
数年前、天文台でプラネタリウム「HAYABUSA2 REBORN」を見て、日本が小惑星探査事業をしていることを初めて知った。
カプセル帰還を目前に控えてのプラネタリウムの内容もとても感動的だったけれど、後日カプセル帰還と回収を伝えるニュースを見た時にも込み上げてくるものがあった。
そんな経緯もあって、「ホンモノ」を見れるとあっては当然行くしかない。
「はやぶさ2帰還カプセル展」では、「カプセル本体」「小惑星リュウグウのサンプル」の実物や、「はやぶさ2実物大模型」などを見ることができた。
カプセルは思ってたよりずっと小さく、遠い宇宙を旅してきたのにピカピカだなぁ。リュウグウのサンプルは拡大しないと見えないくらい小さいけれど、この小さな砂粒に宇宙のナゾを解明するヒントがたくさん詰まってるのか。撮影禁止でサッと通り過ぎる程度の観覧だったけれど、いろんな妄想が浮かんできた。
でも、どうしてJAXAはこんな貴重なのもを、手間ヒマかけて全国で公開展示しているのだろう?国家事業だから納税者への還元的な意味合いもあるにせよ、私のような科学シロウトに見せたところで、何の意味があるのか?
しかも、展示内容も映像もすでに公開されていて、今や家でもネットで見れるのに、人はどうして「ホンモノをこの目で見たい」んだろう?
思えば、昭和の時代、田舎の子どもが知的なものに触れる機会と言えば、デパートの催事くらいだった。テレビCMで頻繁に流れるので子どもの間でも話題にのぼりやすく、親にせびってデパートがある遠方の街まで連れて行ってもらった。
「マンモス展」では赤ちゃんマンモスのミイラの展示。マンモスの牙にタッチするともらえる「触った証明書」をずっと大事にとっていた。
「シーラカンス展」では、シーラカンスの剥製。魚の剥製自体を見たことがなかったので、剥製というだけでも古代っぽさ満点だった。
マンモスのミイラやシーラカンスの剥製を見てきたところで、その後科学の道に進んだわけでもなく、自分の人生の何かに活かされたかと言えば、たぶん全くない。
それでも、シベリアの街でフツーの公園に何十本ものマンモスの牙が無造作に並べられ、子どもたちが遊具代わりにしているのを見た時。2000年代に入ってからようやく撮影されるようになった、生きたシーラカンスが深海を泳ぐ映像を見た時。
子どもの頃の記憶と感情が、鮮明によみがえってきた。
リアルに触れる体験、リアルタイムで見る映像、そしてその時に湧き上がる感情は、深く強烈に記憶に残りやすいのかもしれない。
そしてそんな心の奥深くの小さな「点(dot)」体験がつながって、自分という人間が出来上がっているのかもしれない。
遠い小惑星からはるばるやってきた、小さな小さな砂粒を眺めながら、そんなことを考えた。