日焼けしたあとの 雑記2023-09-10
andymoriで1984
そういえば、最近まで勘違いしていたんだけれど、「アンディーモリ」じゃなくて「アンディモリ」みたいな発音なんですね。ここ二年くらいでハマったものだからバンド名を口に出す機会がほぼ無くて気づかなかった。
『1984』の「椅子取りゲームへの手続きはまるで永遠のようなんだ」という歌詞へ急に実感が湧いた。聞き流していた言葉の意味を咀嚼できる瞬間は嬉しい。
アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』を最終話まで観た。かなり間が空いてしまったけれど、観終わった。
良かった。アニメを通して、ネガティブだけれども肯定的に音楽しかないんだと言うような衝動があった気がする。そういうのが好きだ。
それと、廣井きくりさんのことかなり好き。きくりさんって、なんか死なないために酒を飲んで、生きるために音楽をしている感じがする。そんな感じ、しない?それでいて、ぼっちちゃんと話すときの大人って感じ、あれ良いですね~~~……ぼ廣のイラストが沢山ある意味めっちゃ分かった。めっちゃ嬉しいもん。
そう言えば、脱線なんだけれどSICK HACKの『ワタシダケユウレイ』の配信ないかな~と思って探していたら、「SICK HACK聴いたら人間椅子とか聴いてみるのはどうでしょう」みたいなこと言っている人がいて、面白かった。まあ、確かにそこらへんに繋がるのか… でも「ワタシダケユウレイ」聴いてから人間椅子聴くとビビるだろ。自分は「ゆらゆら帝国で考え中」がゲートウェイドラッグに丁度いいのではないかと思います。サイケデリックロックで、ゲートウェイドラッグって言い方シャレにならないかも…
以上、軽く脱線です。それと、曲の話もしたいけれど観終わったばかりでまだ曲ちゃんと全部聴けてないから語りづらい。また、note更新するたびに少しずつ話すけれど、『青春コンプレックス』だけとりあえず…
『青春コンプレックス』は歌詞と音の感じが凄い良い。めっちゃOP曲だけれど、ロックで、陰鬱で、最高。2番サビ前の「誰にも言わない筈だった が 歪な線が闇夜を走った」のところ、たまらなく好き。これ、あれです。『チルドレンレコード』を好きな気持ちに似ているかも。
カゲプロ楽曲聴くときに喜ぶのと似た部分が喜んでいる気がする、結束バンドの曲。ギターの音がカッケ―感じとか、なんか、分かりませんか…?
ぼっち・ざ・ろっく!の話は、また機会があるごとにします。滅茶苦茶好きになっちゃったので。
映画を観に行った。夜勤明けにどうも寝れないなと思いながらTwitterを見ていたら、バス一本で行けるところにミニシアターがあることを知った。そこで、興味はあったけれども観れずにいた映画をやっていることが分かった。すぐにバスに乗り、映画館へ向かった。
『aftersun/アフターサン』という映画。正直、もう一回観に行きたいくらいには完全にストーリーを理解できていない。そして、面白い映画だった。
大雑把に言えば、別居する父娘がひなびたリゾートで過ごすひと夏を記録したフィルムを大人になった娘が見返すというストーリーだ。
最後まで観て気づけば泣いていた。涙の理由が自分でも未だ整理できていないけれど、そこにある巨大な感情に圧倒されたような気がする。
ふと、両親のことを思い出した。自分は今何となく父と母からの連絡に返事をできずにいる。自分の状況の恥ずかしさに目を背けるためのものなんだけれども。
親子って何なんだろう。世には里親や養子といったものもあるから、それだけで確定できないけれど、この血縁はどうしようもなくあり続ける。そういえば、自分の母方の叔父は親戚の家に養子になっていたけれど、生みの親、私から見た祖母のことを「お母さん」と呼んでいたように思う。
とにかく何だろう、この親子と言うものが分からない。自分は昔、親とちょっとした話の時に「結局は(親と子は)他人なんだから」と言ったことがある。電話越しだったけれども、その時の親の出した雰囲気に申し訳なさを感じたことがずっと頭の隅っこの方に残り続けている。
その、親子は結局他人だと言うことを示しながら、それでも、やっぱりそれでも、それだけじゃない。断ちようがない繋がりがあるんだと言ってくるようなそんな映画だった。そしてその上で、それでもやっぱり、いくら親子と言えども、私はあなたの持つ孤独も不幸も苦しさも全てを知ることはできなくて、そのディスコミュニケーションの存在はお互いに痛みを与えていると言っているようにも思えた。
どうしようもなく存在し続ける強くて脆くもある繋がりというのが不思議と響いた。
もう上映館は無いだろうから、サブスクに来たらまた観ようと思う。
アニメと映画の話でした。今から寝ます。良い一日を。
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