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嵐が去るまで、待って。

「ねえ、子供のころ、ニュースで台風一過って聞いたら、『台風の一家』って、思わなかった? 私、台風のお父さんもお母さんも子供も一緒に暴れるから、こんなに台風って荒れるんだなあって思ってた。〝子供の頃あるある〟だよね」

 私はムリにアハハと笑ってみた。
 だけど、沙織は「ふうん」と気のない返事。スマホをいじるのに夢中だ。
 私はため息をついてシートに深く身を沈めた。
 ――だよね。こんな話、つまんないよね。でも、もうネタ切れだよ。

 車のフロントガラスを叩く雨音は、さっきよりも激しくなって、滝のような雨が流れ落ちている。いよいよ、暴風域に入ったのかもしれない。

 ここは国道沿いのコンビニの駐車場。
 沙織に「今日のライブ、一緒に行ってくれない?」と頼まれたとき、私はためらった。
 昨日から、どのテレビ局でも台風のニュースばかりだ。本州に上陸した台風は、そのままの勢いで今晩は関東地方に到達するって、繰り返し繰り返し、報道してる。

 返事に困っていると、沙織は甘い声で言う。

「ごめんね、こんなときに誘っちゃって。でも、久しぶりに美久に会いたいし」

 沙織にそんなことを言われて、断れる人類は、この世に一人もいない。たぶん。

 分かってる。他の誰かと行く予定だったのに、その人がドタキャンしたってことぐらい、聞かなくても分かってるよ。
 私はしょせんピンチヒッター。
 でも、いいんだ。沙織に思い出してもらえるだけで、私は自分がちょっと特別な存在になった気になれる。

 沙織とは、中学のころからのつきあいだ。
 デブでブスの私は、子供のころから、よくイジメのターゲットにされてた。休み時間は誰とも話さず、ひたすらノートにイラストを描いてた。
 そんな私に、沙織は「佐々木さんって、絵うまいね。いいなあ」と声をかけてくれたのだ。

 あのときのやりとりは、今でも鮮明に覚えてるぐらい、私の人生を変えた瞬間だった。
 沙織は、芸能事務所がスカウトに来るぐらい、地元では評判の美人だった。スタイルも抜群。おまけに、勉強もできるし、スポーツもできる。生徒会の副会長で、先生たちからの評判もいい。
 男子には当然モテてたけど、女子からも憧れの的だった。

 白状しよう。
 私は沙織のような甘くてかわいい声になりたくて、こっそり練習してた時期がある。それをスマホに吹き込んで聞いてみたら、死にたくなった。
 私には、かわいい声になる権利すらないみたい。

 沙織はネイルを教えてくれたし、ヘアスタイルも「美久は、ロングよりボブのほうが似合うよ!」と言ってくれた。
 ちなみに、沙織はさらっさらのロングヘア。私がロングヘアにしても、太った貞子になるだけだって、よーく分かった。 

 ネイルだって、デブの私が水玉模様のネイルをしても、「爪が汚れてるよ?」と言われちゃうレベル。
 でも、沙織に「美久の爪って、塗りやすくて楽しい♪」と言われたら、黙って手を差し出すしかない。
 私の爪を塗っている時間は、沙織は私だけのものだったし。

 ライブは隣の県の文化会館で行われることになっていた。
 沙織は中学のころからそのアイドルグループが好きで、私も沙織の影響で好きになった。二人で、推しメンの話で盛り上がっていたのがなつかしい。 

 また、あのころのように盛り上がれるかな~って思って、会場に着いたら、なんとライブは中止。 
 台風で新幹線が止まっちゃってるから、メンバーがこっちに来られないって、張り紙に書いてあった。

 そのときから、ずっと沙織は不機嫌だ。
 私に向かって「ねえ、行く前に会場に問い合わせなかったの?」なんて言ってくる。
「ごめん、そこまで気が回らなくって」って、なぜか私が謝ってた。
 そうなんだ。沙織は不機嫌をこじらせるタイプなのだ。

 中学のとき、一度だけ、英語の点数が沙織よりも良かったことがある。それを見た沙織は一気に不機嫌になって、しばらく口をきいてくれなかった。
 それから私は、沙織よりもいい点を取らないように気をつけた。
 美術で描いた絵が県のコンクールで入賞したときも、「すごいね、おめでとう!」と言ってくれたけど、「今日から、お昼は他の子と食べるね」って即行で距離を置かれた。私は一人でポツンとお弁当を食べたんだ。

 そんなことされてまで、どうして一緒にいるのか、自分で自分が嫌になる。
 でもね、みんな、沙織と一緒にいると羨ましがるんだ。インスタで一緒に写ってる写真を見て、「お前、こんな美人と友達なのか?」って、小学校のころの同級生が驚いてた。
「紹介しろよ」って頼まれて、「え~、でも、沙織は理想が高いよ?」なんて言うのは、気分がよかったんだ。

 高校は別々だったから、ほとんど会わなかったけど、美大に通うために車の免許を取ったときから、あちこちに駆り出されるようになった。
 分かってる。単なる使いっぱだって。
 でも、今でも沙織は、私から見るとギリシャ彫刻のような、「完璧な美」をまとっているのだ。

 沙織は、今、車の中で不機嫌をこじらせ中だ。
 ライブ会場からの帰り道、予想通り、雨が激しくなって、さすがに私は運転するのが怖くなった。だから、コンビニで車を止めて、台風が過ぎ去るまで待つことにしたんだ。
 コンビニで夕飯やジュースを買って、二人で食べたけど、沙織はずっとスマホをいじって「話しかけないで」オーラを出している。

「まあちゃん、どうしてるかな。元気かなあ」って共通の話題を振っても、「知らない。会ってない」って二秒で終わる返事ばっか返される。
 そんなむくれた横顔でさえ、見とれるぐらいにキレイだ。

 やがて、「もうっ」と小さくつぶやくと、苛立ちながらどこかに電話をかけた。
「ねえ、迎えに来れないって、どういうこと?」
 えっ。私は沙織の顔をまじまじと見た。

「だから、危ないから迎えに来てって言ってんじゃん。友達が運転できなくなっちゃったのっ。だって、行ってみて初めて知ったんだもん、中止って。仕方ないでしょ?」

 それからしばらくやりとりをして、「もういいよっ」と電話を切った。
 車の中に漂う、重たい空気。
「もしかして、彼氏?」
 ためらいながら聞いてみる。
「そうだよ」
「迎えに来てって」
「だって、こんなところにずっといるわけにいかないじゃん。危ないし」

 私は黙り込んでしまった。
 鼓動が早くなる。
 どうしよう。言うべきなのか、我慢したほうがいいのか――。

 沙織は他の人にも電話をかけて、同じようなやりとりをした。
「もう、みんな使えないんだからっ」
 スマホを投げ出しそうな勢いだ。

「ねえ、迎えに来てもらったら、私、どうなるのかな」
 私は、恐る恐る聞いてみた。
「え?」
「だだだってさ、沙織が迎えに来てもらったら、私、ここで一人で残ることになるじゃん?」
 沙織は、「それがどうしたの?」という顔をしている。

「それって、おかしくないかな」
「は? なんで?」
「だって、今日のライブも沙織に誘われたから、車を出したわけで」
「美久だってアツシのこと、好きじゃん」

「中学のときはね。今はそんなに興味なくて」
「もう、なんで今、そんなことを言うの? そんなこと言うなら、私が誘ったときに断ればよかったじゃん。OKしたんだったら美久の責任でしょ?」

 いろいろとおかしい。私はどう伝えたらいいのか、分からなくなってしまった。

「そんなこと言うなら、もう二度と、美久のことは誘わないから」

 その一言で、私の中で何かがプツンと切れる音がした。

「うん、誘わないで。ついでに、今すぐ、車から降りて」
「は?」

 私は助手席のロックを開けた。
「降りて、今すぐに」
「え? 何言ってんの?」

「だってさ、私、沙織のためにこんな天気の日に車を出してあげたんだよ? 普通はお礼を言うよね? でも、沙織はずっと文句ばっか言ってるよね。ライブが中止になったのも、私のせいじゃないのに、確認しなかったのかって責めるし。もう、疲れた。私、沙織のそういうところに疲れた。だから、もう会わなくていい。会わなくていいから、今すぐ、私の車から出てって」

 沙織は私の勢いに固まってる。そりゃそうだ。私が沙織に反論するのなんて、人生初なんだから。

「そこまで言わなくても」
「そこまで言わせてるのは沙織じゃない。中学のときだってさ、沙織は私に」

 そのとき、衝撃音が響いて、私と沙織は同時に悲鳴を上げた。

 見ると、ボンネットに太い木の枝が乗っている。フロントガラスにぶつかったのだろう。
 いつの間にか、車が揺さぶられるぐらいの暴風になっていた。

「ね、ねえ、車の中にいたら危ないんじゃない?」
 沙織がおびえた声で言う。
「そ、そだね、コンビニに入ろっか」
 車から出ようとしたとき、目の前を自転車が吹き飛ばされていった。

「ムリムリムリ、こんななか、外に出れないっ」
 車の天井に何かぶつかったのか、激しい衝撃を受ける。沙織と私は思わず、抱き合った。

「何これ、何これ。怖すぎなんだけど」
「もうヤバいヤバいヤバイ」
 二人で抱き合いながら、何度も悲鳴を上げた。

「――ねえ、ごめんね、美久」
 やがて、沙織はポツリと言った。

「私、美久にひどいことばっかしてたよね。ホント、ごめん」
「ううん、私も出てってなんて言っちゃって、ごめん」
「それぐらい、当たり前だよ。美久、優しいから、私甘えてばかりいた。わがままばっか言って、ごめんね」

 私を見る沙織の目が潤んでいる。
 ああ。ホントの沙織に会えた。ホントの沙織はこんなに小さくて、こんなに弱い女の子だったんだ。
 私は沙織を絶対に守るって、世の中のあらゆるものから守ってみせるって心に誓って、ギュッと抱きしめた。

 明け方、雨足がようやく弱まってきた。
 カーラジオでは、台風は関東地方を抜けて北上していると言っている。
 田んぼの向こうに広がる空が明るくなってきている。もうすぐ、この雨もやむだろう。

 沙織はコンビニのトイレに行っている。
 雨がやんだタイミングで、私は外に出て大きく伸びをした。車をグルっと見て回ると、あちこちにへこんだ跡がある。これぐらいなら、ママも許してくれるだろう。 

 それにしても、沙織はなかなか戻ってこない。
 様子を見にコンビニに入ろうとしたとき、真っ赤なスポーツカーが駐車場に滑り込んできた。

「も~、遅いよ~っ」
 店から沙織が飛び出して、一直線にスポーツカーに向かう。
「ごめん、ごめん。これでもマックスで飛ばしてきたんだけど」
 運転席から男の人が話す声が聞こえた。
 沙織がするりと助手席に乗り込むと、すぐにスポーツカーは駐車場から出て行った。

 私は茫然と見ているだけだった。
 沙織は私には一言も声をかけないどころか、こっちをチラッとも見なかった。
 そういえば、雨が弱まってきたときに、スマホをいじってた。あのとき、連絡してたのか……。

「やられた……」
 私は空を見上げた。
 車に駆け寄る沙織は、キラキラ輝いていた。こんなときでも、彼女は、残酷なまでにキレイなんだ。

「ま、いっか」
 私も車に乗り込んだ。
 たぶん、もう二度と、沙織に会うことはないだろう。
 それでも、気持ちはスッキリ晴れやかだ。

「帰って寝よっと」
 まぶしい朝日に照らされる道に向かって、私はハンドルを切った。

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