愛なんか、知らない。 第8章⑤さよなら、また会う日まで
優は立ち止まって、私の顔を見た。
「葵のミニチュアはすごいんだから。人を感動させる力を持ってるんだから。葵の世界は、誰にも壊せないから。そんなやつのせいで作れなくなっちゃうなんて、ホント、悔しくて」
私はなんて答えていいのか分からなくて、うつむいた。
「私、高校の時、葵にミニチュアを教えてもらって、どれだけ救われたか……。あの家にいる時も、豆本を作っている時間は自分でいられたんだ。親から冷たくされても、妹がかわいがられるのを見てても、『次はどんな豆本作ろう』とか考えて、つらい気持ちをシャットアウトできたっていうか。それに、葵と静香さんと一緒にミニチュアを作った時間も救われたし。葵がミニチュアに熱中している姿を見て、私も英語をもっと本格的に勉強してみようかなって気になって。だから、葵のお陰で私はアメリカに行けて、アメリカでも豆本で仲良くなった人もいっぱいいるし、葵は私の恩人なんだよ」
優は途中から鼻声になる。
私は思いがけない優の告白に、言葉もなくて。
ただ温かな涙が頬を伝う。涙、枯れ果てたと思ってたのに。まだ残ってたんだ。
「私は葵のファンだからね。この先もずっと」
優はふわっと私の体を包み込む。温かい。そっと優の肩に顔をうずめた。
遠く離れていても、私のことを真剣に心配してくれている人がいる。それだけで、なんか、許された気がして。
その夜、優は家に泊まってくれて、いろんなことを話した。
優も男の人に遊ばれたことがあって、立ち直るまでに時間がかかったって。優は真剣につきあってるつもりだったのに、そういう関係になって、1カ月も経たないうちにフラれたって。次に選んだのが金髪の白人女性だったから、自分を全否定されたみたいでツラかったって、話してくれた。
人生、いろいろだね。って、昔、市原さんが言ってたセリフをなぜか思い出した。
ホントに。つらい思いをしないで生きていけたら、どんなにいいだろう。
だけど、きっと、傷つくのにも意味があるんだろう。優が今のパートナーと巡り会えたように。
翌日、スチュワートさんが家に来た。
スチュワートさんは茶色いふわふわのくせっ毛で、キレイな茶色い瞳をしていた。すらっと背が高くて、「Hi!」ととびきりの笑顔で握手を求めて来た。ドキドキしながら手を握る。大きくてごつごつした手。
リビングに、今まで作った作品を並べてある。
私はミニチュアを見たくないから、優に事情を話して、優に並べてもらったんだ。私は離れた場所から見守ることにした。
スチュワートさんはミニチュアを見るなり、「Oh! Super!」と目を輝かせている。
「写真、撮っていいデスか?」と聞かれたので「OK」と答える。
一つ一つの作品を何枚も写真を撮りながら、「Grate」「Fantastic!」と何度もつぶやく。解説を求められて、優に通訳してもらいながら精いっぱい答えた。
でも。
「葵、スチュワートが、あの作品はないのかって」
「え」
優はちょっと困ったように私を見る。そう、あの作品だけ、ここには置いてない。
「うーん、あれは……」
「でも、私も見たい、葵のあの作品を。葵が見るのがつらいなら、私が持って来て見せるよ」
しばらく迷ったけど、「ちょっと待ってて」と二階に上がり、クローゼットを開けた。
クローゼットの一番奥にしまってある箱を取り出す。
封印するようにしまい込んでいた作品。
一階に持って降りて、優に託す。優は箱から慎重に出した。
夜の音楽室。
二人は瞬きを忘れたように、息するのも忘れたように見つめる。
やがて、優はほおっと息をもらす。
「So beautiful! 葵の最高傑作じゃん」
「そうかな」
「あの望月って人の作ったのも写真で見たけど、全然次元が違う。葵のほうが断然いいっていうか、ううん、比べ物にならないよ。あっちのはゴミだよ、ゴミ。葵のは芸術作品。この作品が世に出るべきだったのに、あのバカ男」
優の目に、みるみる涙が浮かぶ。
「悔しい。あんな男に台無しにされて。悔しい」
泣きだした優のことを、スチュワートさんが慰める。
私のために、こんなに怒ってくれる人がいる。心や純子さんたちもそうだけど。じんわりと胸が温かくなる。
スチュワートさんは、「僕は今、感動してる。この作品からは物語を感じるんだ。ついさっきまで音楽が奏でられてたみたいで。この作品は唯一無二だよ。絶対、世に出すべきだ!」と熱っぽく語ってくれた(訳者は優)。
「これ、今からでもホームページとかに出したら? 葵、自分のホームページ作ってるでしょ」
「うーん。そんなことしたら、批判が集中しないかな」
「葵は何も悪いことしてないのに、誰が何を批判するの? これがオリジナルですって、堂々と胸を張って出していいと思うよ。だって、葵はいろんなものを犠牲にしたんだから」
「……」
それから、スチュワートさんの作品の画像もたくさん見せてもらった。ブリキの鳥かごの中にブリキの鳥がいたり、ブリキの巣箱からブリキの小鳥が顔をのぞかせていたり。鳥だけ彩色してあって、センスがいいのが分かる。
「鳥が好きなの?」
「うん。うちの親が鳥好きで、鶏やオウムやインコを飼ってたんだ。だから、鳥は自分にとっての家族みたいなもんだね」
「へええ。あ、この親子の鶏カワイイ」
「これはメモ立てなんだ。この翼に紙を挟めるようになってる」
「ええ~、すごい!」
「これ、卵も足元に転がってるんだよ」
「ホントだ、かわいい~」
三人でひとしきり盛り上がる。
ああ。こんな風に、誰かの作品を見ながら興奮するのも、久しぶりだなあ。
「そろそろ行かなきゃ」
優が腰を上げる。
とうとう来てしまったお別れの時間。このまま、三人でずっと話していたかった。
「久しぶりに葵に会えてよかった」
「私も。二人が来てくれて、いっぱい話せて楽しかったよ」
「それならよかった!」
「また会えるよね」
「うん、もちろん! 葵もアメリカに来なよ。あちこち案内してあげるから」
二人で別れのあいさつを交わしている時、スチュワートさんが微笑みながら小さな青い紙袋を「これ、葵さんにプレゼント」と手渡した。
「え? なんだろ。開けてみていいですか?」
袋の中には段ボールの小さな箱が入っている。その箱を開けると、中に人形のようなものが入っている。
取り出してみると、ブリキで作った掌に乗るサイズの少女のオブジェだった。少女は両手で小鳥を大切そうに持っている。その小鳥は青い色で塗られていた。
「青い鳥……」
「葵さんの名前、日本語ではBLUEと同じ発音をするんだって聞いて、インスピレーションが浮かんだんだ、ってさ」
「素敵な作品……。ありがとう。一生大事にする」
オブジェをそっと抱きしめる様子を見て、スチュワートさんは満足そうにしている。
道路に出て二人を見送る。
二人でこれから優の家に挨拶に行く。それから、今晩中にアメリカに帰ってしまう。
「葵」
優はギュッとハグしてくれた。
「元気でね」
「うん」
優をハグし返す。
「また会おうね、絶対」
「うん。絶対に」
「離れていても、私はいつでも葵の味方だってこと、忘れないで」
「うん。ありがと」
体を離すと、優は泣きはらした目で微笑む。
「葵はずっと、今のままでいて」
「優も、ずっと幸せでいてね」
何度も振り返りながら、二人は去って行った。スチュワートさんが引いている優のスーツケースの音が、ゴロゴロと道路に響く。
私はいつまでもいつまでも見送った。優が手を振る姿が、涙でかすむ。
きっと、優はもう日本には戻ってこないだろう。
でも、それなら、私がアメリカに行こう。いつか。絶対。私たちの心はつながってるんだから。