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愛なんか、知らない。 最終章⑮ひとすじの光

 塚田さんは、私の表情から何か察したのか、「それは、葵さんに問題があるからじゃないよ。自分より弱い存在に当たり散らしてるだけ。そういう人間、いるからね」と諭すように言う。

「オレが離婚した話、まだしたことなかったけど。オレは、浮気されたんだ、妻に。情けない話だけど。なんか、学生時代からつきあってた彼氏がいたみたいで、結婚した後も、そいつとは切れてなかったみたいで。相手も結婚してて、W不倫ってやつで。鈴がまだ赤ちゃんのころからうちの親に預けて浮気相手と会ってたみたいだし。家事も全然やらないから、家の中が荒れ放題で。最初は、産後うつなのかって思ってたけど、オレの金で不倫相手と遊びまわってたんだよね。それに気づいて、何度もケンカして。でも、向こうの言い分は、家のことをする気になれないのは、オレの稼ぎが悪いからとか、帰りが遅いからとか、ホントは結婚する気なかったのに、オレがかわいそうだから結婚してあげたんだとか、全部こっちのせいにしてきて。で、ケンカの後は鈴にあたるし。鈴が泣いたら『うるさいっ』って怒鳴りつけたりして。食事を与えてないこともあって。だから、もう一緒にいられないってなって。最終的には、家裁が調停に入って、オレが親権を持つことになったんだ。だから、勝手な人間に振り回される辛さは、オレは誰よりも分かるよ」

 塚田さんがどうして離婚したのかは、今までためらって聞けなかったんだけど。途中から、私に話しているというより、自分の想いを吐露してるような感じだった。

「そう……そんな大変な想いを」
「オレも、あの時は自分が悪いんじゃないかって何度も何度も自分を責めたけど、今は、自分は何も間違ってなかったって思う。ただ、あいつが自分勝手で自分のことしか考えてなくて、オレのことをホントは好きでも何でもなかったことを、結婚前に見抜けなかったのがマヌケだったってだけで」

 塚田さんも、大変な過去を乗り越えて来たんだ。
 圭さんに裏切られた私は、相手がまったく本気じゃなかったことを知った時、どんなに打ちのめされるのか、知ってる。塚田さんも、そんな想いを。
 そうか。
 だから、私、塚田さんと出会ったのかもしれない。同じ傷を負った二人が、今こうして出会っている。それは、奇跡みたいだ。

 いつの間にか、私の涙は引いていた。
 塚田さんは静かに私の横に座る。しばらく、無言の時間が続いて。
 それから、意を決したように。

「オレが、葵さんの家族になるから」
 私は塚田さんの横顔を見つめる。
「オレが、ずっとそばにいるから。だから、もうそんな親なんて、受け入れなくていい。オレたちが、オレたちだけの家族をつくればいいんだ」

 まっすぐに見つめ合う。私はただうなずくだけで。一度にいろんなことが起きすぎて、胸がいっぱいで。 
 塚田さんは、ためらいつつ、そっと私の頭をなでた。それから、包み込むように抱きしめてくれて。
 温かい。ああ。そうか。私、一人じゃないんだな。
 私は、塚田さんの肩に顔を埋めた。
 
 
 翌朝。
 7時過ぎに目が覚めた。
 暗い部屋に、カーテンの隙間からうっすらと朝日が差し込んでいる。
 起き上がると、床に敷いた布団の中で塚田さんが寝息を立てていた。
 塚田さんは私のことを心配して、泊まっていってくれたんだ。
 でも、何もなかった。
 ずっと、私のそばにいてくれて、寝る時は手をつないでくれてた。
 それで、やっと落ち着いて眠れたんだ。
 そういえば、いつの間にか、私のことを葵さんって呼んでくれてた。私はいつ、大輔さんって呼べるようになるのかな。

 さあ。どうしよう。残金は5万円。
 これから、どうやって生活していけばいいのか。
 悲惨な状況なのに、なんか、気分はスッキリしてる。泣けるだけ泣いたからかな。
 今日から、この家には私だけだ。
 
 ふいに。
 こんな光景を、前にも見たことを思い出して。
 高校のとき、お母さんが、私を置いて海外に行っちゃった日。お母さんを見送って、家に帰って来たとき。
 あのとき、空っぽな部屋で、私は佇んで。暗い部屋にカーテンから一筋の光が射しこんでた。

 あの光景。
 私はそっとベッドから降りて、机の上に置いてあるスケッチブックを手に取った。
 描きたい。この光景を。
 ベッドに座って、スケッチブックの真っ白なページを開いて。
 かすかに震える手で鉛筆をシャッと走らせる。

 この景色を、ミニチュアで作りたい。
 旅立ちの朝の、切ない光景を。
 私は、ミニチュアを作りたい。
 私は今、やっと、ミニチュアを作りたいって思えたんだ。
 涙がスケッチブックにポタポタと染みをつくる。

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