見出し画像

年賀状 控

もう何年も前から年賀状をやめている。しかし、頂くものには返信をしている。葉書とはいえ、相手や頂いた文面に応じて一枚一枚手書きをして投函している。手書きなので、投函した後は何を書いたか覚えていない。それで何か不都合があるわけではないのだが、たいした枚数ではないので、今年はここに控えておくことにした。

高校時代の担任宛
学級担任は国語科の先生だ。都立高校を定年で辞めてからお勤めになっている先生が多い中、大学卒業後すぐに着任された。我々生徒が高圧的な日本史の教師と険悪な関係になった時、我々生徒の側に立って、その日本史教師と対峙してくれた。結果的に、我が担任はその高校を辞めて岡山の短大の教員となった。多分、現在70歳代前半。今の私の住所をご存知のはずがないのだが、昨年、年賀状を頂き驚いた。

明けましておめでとうございます
12月31日から1月2日までは新潟柏崎にあるツレの実家で過ごし、3日は埼玉にある自分の実家で過ごしました。例年と変わらぬ三ヶ日でした。とはいえ、誰もが老化してゆくので、いつまで「例年と変わらぬ」と言っていられるか心許ないのも現実です。心配と言えば心配ではありますが、次は誰か?というゲームのような感覚があるのも事実です。昨年5月に倒れて人生初の入院生活を経験しました。死を間近にしてみると、思いの外、死が安楽に感じられ、肩の力が少し抜けました。歳を重ねるというのはいろいろ発見があって面白いものだと思います。
新しい年が良い年になりますように。

高校時代の学級担任への返信

新卒最初の就職先の証券会社で債券トレーダーをしていたときの顧客宛
金融法人相手の商売で、大手生保の資金運用部での運用担当者。年齢が私の二つ上で、大変可愛がって頂いた。一緒に食事に行けば、立場上、私の方が勘定を払わないといけないのだが、いつもゴチになっていた。仕事でご一緒させて頂いたのは2年弱だが、いまでも年賀状をいただいている。今年11月末で定年とのこと。

あけましておめでとうございます
歳を重ねる毎に時間が加速するかのように感じられます。コロナ以降があっという間でした。別に何かやりたいことがあるわけでもないので時間が早く過ぎ去ったところで何の不都合も不満もありません。毎日ただボーォッとしています。仮に今の勤めが続くとして、小生の場合は2027年11月末で定年となります。勤めがあればあったで、無ければ無いで目の前の雑事は消えることがないので、このまま淡々と日々を過ごす気がします。
それにしても、世間は無駄に騒々しいですね。地球上の諸悪の根源は人類の異常繁殖にあると確信していますが、どうしてこうも馬鹿ばかりが要所要所に陣取るような社会になってしまったのか不思議でなりません。自分の残りの人生がだいぶ短かくなったのがせめてもの救いです。
新しい年が良い年になりますように。

新卒最初の就職先の証券会社で債券トレーダーをしていたときの顧客宛

資産運用会社に転職して株式アナリストをしていたときの同業者宛
株のアナリストというのは、大抵、担当業種というものがあり、私は電気・精密機械を担当していた時期が長かった。担当企業のアナリスト説明会や施設見学会で比較的頻繁に顔を合わせることが多いので、参加者同士で会話をする機会も多く、そうした中で自然に親しい相手もできてくる。この人は大手電機メーカーの経営企画部門から外資系資産運用会社へ転職してきた人で、説明会での質疑応答の時間では必ず真っ先に手を挙げて質問をする人だった。私が陶芸の作品展をするときに案内を差し上げると、必ず来場して何点かお買い上げ頂いた。ちょっと冒険したような作品を選ぶ人で、性格が出るなぁといつも感心させてもらった。同世代なので、もう仕事の方は引退されているのかもしれない。賀状には私の作品展(「陶器市」と書かれていた)について問う文言があった。

あけましておめでとうございます
2023年と2024年は徳利ばかり作っていました。同じものを作り続けてみて、ようやく徳利らしいものができるようになりました。昨年末は頼まれ仕事で大皿を作りましたが、ひとつの形が見えてくると、あとはそれ以外のものであっても、応用問題でしかないのではないか、と思えるようになりました。つまり、徳利も大皿も同じではないか、と。陶器市はコロナで止めてから再開していませんが、次にやるとしたら、今までとは全く異なる催しにしてみたいとは思っています。今の勤めを続けるとすれば、2027年11月末で定年になるのですが、そこまで待たずに何かできたらいいなとは考えています。
新しい年が良い年になりますように。

資産運用会社に転職して株式アナリストをしていたときの同業者宛

イギリスの留学先の日本人同窓会会長宛
統計を見たわけではないが、MBAの留学は殆どが企業派遣ではないだろうか。個人で留学費用を工面するというのは並大抵ではない。彼は大手広告代理店のIT系子会社からの派遣だが、その後転職して今は外資系大手通販会社でIT系の仕事をしている。年齢は私よりも下の世代だ。私世代での留学は圧倒的に金融機関の社員だったが、彼世代は業種の裾野が広がっている。彼は芸術系の学校に進学して、そういう方面の仕事をしたかったらしいのだが、「親に泣かれて」反対され、「仕方なく東大へ行った」という人だ。それでも、そういう方面への興味は尽きることがなく、就職してから美学校(あの赤瀬川原平や唐十郎らが教壇に立ったという、あの学校)に通うなどして、今も創作活動を続け、毎年9月に新宿のギャラリーで作品展を開催している。賀状に「ますます見通しの立たない社会になってきましたが、そんなときは創作活動が救いになります」と書かれていた。

あけましておめでとうございます
創作活動は、ホント、救いですね。
陶芸の方は2023年と2024年は徳利ばかり作っていました。同じものを作り続けてみてようやく徳利らしいものができるようになりました。技巧的なこともそうですが、自分にとっての徳利とは何かというイメージがはっきり見えてくる瞬間が訪れるようになった気がします。そういう時など、モノを作ることがとても楽しく感じられます。同じようなことを別のことでもやっていたら、きっと人生は違ったものになっていたでしょう。そういう気付きも貴重なものだと思います。
仮に今の勤めを続けていれば、2027年11月に定年を迎えます。でも、そんな先のことはわかりませんし、わかったところでどうなるものでもありません。このまま、淡々としているより他にどうしようもないでしょう。
新しい年が良い年になりますように。

イギリスの留学先の日本人同窓会長宛

11月に会った大学時代の友人宛
彼のことは先日『臨終図巻 62歳』に書いた。その後、彼から「36センチ径の皿を3枚」という注文をもらった。焼き上がりが36センチということは焼成前で40センチ程度の大きさでないといけない。これは私にとってはなかなか厄介な大皿だ。先月から作り始めているが、四苦八苦している。

あけましておめでとうございます
いよいよ修論提出ですね。またお話を聞かせてください。楽しみにしています。
御注文の大皿は先月から作成を始めました。普段あまり作らない大型の作品なので、試行錯誤をしています。来月には目処をつけるつもりです。後程、連絡差し上げます。
一昨年から昨年にかけて徳利ばかり作っていました。同じものばかり作り続けることで見えてくるものがあるかもしれないと思ったのです。2年続けて、自分の中の徳利のイメージがようやく見え隠れしてきた気がします。同じようなことを別のものでもやっていたら、きっと人生も違ったものになったのでしょう。そういう気づきも面白いものです。
新しい年が良い年になりますように。

11月に会った大学時代の友人宛

大学の卒業旅行で知り合った友人宛
大学の卒業旅行でインドに行った。そのときの旅日記を何年か前にこのnoteに上げた。その旅行で私と往復同じフライトだったのが他に3人いた。しばらくは4人の間で交流があったのだが、今も、年賀状のやり取りだけだが、繋がりがあるのは彼だけになった。彼は政府系金融機関に勤めていたが既に定年を迎え、今は好きな美術館巡りに精を出しているらしい。彼の好みは美術の教科書に載っているような王道系なのだが、インドに絡むと王道以外でも心を揺さぶられるらしく、だいぶ以前に秋野不矩美術館のことを年賀状に書いてきたことがあった。それを読んで、私も静岡浜松まで日帰りで出掛けてきたが、なるほど良い美術館だった。ただ、そうはいっても、彼と私は別の人間なので、好みも違う。こんな返事を書いたのだが、彼はどう思うだろうか。

あけましておめでとうございます
2024年の美術展で印象深いのは
都美の田中一村展
サントリーの英一蝶展
アーティゾンのブランクーシ展
でした。一村を知ったのは2018年に日本民藝館の夏期学校に参加して鹿児島を訪れた時のことです。学校終了後に市内を観光していてたまたま入った美術館で色鮮やかな、それでいて静かな絵に出会いました。本展では彼の画業を時系列で追っていましたが、その鮮やかで静かな境地に至る時間の濃さのようなものに圧倒される思いがしました。自分に正直に、誠実に、一生懸命生きていればいつか満ち足りた充実感を得られるのではないか。そんな希望を感じさせる展覧会でした。一蝶は、単にこういう風俗を活写した作品が好きというだけのことですが、芭蕉や其角と交流があり、俳諧を嗜んだことが、絵に活動的な空気を与えている気がします。私も俳諧に興味があるのですが、なかなか立ち入ることができず、、、
新しい年が良い年になりますように。

大学の卒業旅行で知り合った友人宛
秋野不矩美術館 2006年9月7日撮影
秋野不矩美術館の最寄駅である天竜浜名湖鉄道「天竜二俣駅」の時刻表
2006年9月7日撮影
まさかこれより今の方が列車の本数が増えているなんてことはあるまい

賀状の返信は全部で10枚書いたのだが、残りはここに書いたことのどれかと似たり寄ったりだ。もう少し文章を練って下書きをしてから書けば良いのだろうが、相手のハガキを読んで、思いついたことをさっさと書いたほうが、その思いが素直に伝わるのではないかと思い、誤字脱字や文章の乱れを気にしないことにしている。今日はこれから初詣に出かける。

いいなと思ったら応援しよう!

熊本熊
読んでいただくことが何よりのサポートです。よろしくお願いいたします。