もう何年も前から年賀状をやめている。しかし、頂くものには返信をしている。葉書とはいえ、相手や頂いた文面に応じて一枚一枚手書きをして投函している。手書きなので、投函した後は何を書いたか覚えていない。それで何か不都合があるわけではないのだが、たいした枚数ではないので、今年はここに控えておくことにした。
高校時代の担任宛
学級担任は国語科の先生だ。都立高校を定年で辞めてからお勤めになっている先生が多い中、大学卒業後すぐに着任された。我々生徒が高圧的な日本史の教師と険悪な関係になった時、我々生徒の側に立って、その日本史教師と対峙してくれた。結果的に、我が担任はその高校を辞めて岡山の短大の教員となった。多分、現在70歳代前半。今の私の住所をご存知のはずがないのだが、昨年、年賀状を頂き驚いた。
新卒最初の就職先の証券会社で債券トレーダーをしていたときの顧客宛
金融法人相手の商売で、大手生保の資金運用部での運用担当者。年齢が私の二つ上で、大変可愛がって頂いた。一緒に食事に行けば、立場上、私の方が勘定を払わないといけないのだが、いつもゴチになっていた。仕事でご一緒させて頂いたのは2年弱だが、いまでも年賀状をいただいている。今年11月末で定年とのこと。
資産運用会社に転職して株式アナリストをしていたときの同業者宛
株のアナリストというのは、大抵、担当業種というものがあり、私は電気・精密機械を担当していた時期が長かった。担当企業のアナリスト説明会や施設見学会で比較的頻繁に顔を合わせることが多いので、参加者同士で会話をする機会も多く、そうした中で自然に親しい相手もできてくる。この人は大手電機メーカーの経営企画部門から外資系資産運用会社へ転職してきた人で、説明会での質疑応答の時間では必ず真っ先に手を挙げて質問をする人だった。私が陶芸の作品展をするときに案内を差し上げると、必ず来場して何点かお買い上げ頂いた。ちょっと冒険したような作品を選ぶ人で、性格が出るなぁといつも感心させてもらった。同世代なので、もう仕事の方は引退されているのかもしれない。賀状には私の作品展(「陶器市」と書かれていた)について問う文言があった。
イギリスの留学先の日本人同窓会会長宛
統計を見たわけではないが、MBAの留学は殆どが企業派遣ではないだろうか。個人で留学費用を工面するというのは並大抵ではない。彼は大手広告代理店のIT系子会社からの派遣だが、その後転職して今は外資系大手通販会社でIT系の仕事をしている。年齢は私よりも下の世代だ。私世代での留学は圧倒的に金融機関の社員だったが、彼世代は業種の裾野が広がっている。彼は芸術系の学校に進学して、そういう方面の仕事をしたかったらしいのだが、「親に泣かれて」反対され、「仕方なく東大へ行った」という人だ。それでも、そういう方面への興味は尽きることがなく、就職してから美学校(あの赤瀬川原平や唐十郎らが教壇に立ったという、あの学校)に通うなどして、今も創作活動を続け、毎年9月に新宿のギャラリーで作品展を開催している。賀状に「ますます見通しの立たない社会になってきましたが、そんなときは創作活動が救いになります」と書かれていた。
11月に会った大学時代の友人宛
彼のことは先日『臨終図巻 62歳』に書いた。その後、彼から「36センチ径の皿を3枚」という注文をもらった。焼き上がりが36センチということは焼成前で40センチ程度の大きさでないといけない。これは私にとってはなかなか厄介な大皿だ。先月から作り始めているが、四苦八苦している。
大学の卒業旅行で知り合った友人宛
大学の卒業旅行でインドに行った。そのときの旅日記を何年か前にこのnoteに上げた。その旅行で私と往復同じフライトだったのが他に3人いた。しばらくは4人の間で交流があったのだが、今も、年賀状のやり取りだけだが、繋がりがあるのは彼だけになった。彼は政府系金融機関に勤めていたが既に定年を迎え、今は好きな美術館巡りに精を出しているらしい。彼の好みは美術の教科書に載っているような王道系なのだが、インドに絡むと王道以外でも心を揺さぶられるらしく、だいぶ以前に秋野不矩美術館のことを年賀状に書いてきたことがあった。それを読んで、私も静岡浜松まで日帰りで出掛けてきたが、なるほど良い美術館だった。ただ、そうはいっても、彼と私は別の人間なので、好みも違う。こんな返事を書いたのだが、彼はどう思うだろうか。
賀状の返信は全部で10枚書いたのだが、残りはここに書いたことのどれかと似たり寄ったりだ。もう少し文章を練って下書きをしてから書けば良いのだろうが、相手のハガキを読んで、思いついたことをさっさと書いたほうが、その思いが素直に伝わるのではないかと思い、誤字脱字や文章の乱れを気にしないことにしている。今日はこれから初詣に出かける。