『銀座百点』
たまたま2月11日に『銀座百点』の2022年2月号を手に入れた。その巻頭座談会が手紙の話だった。『百年の手紙』を読了した直後のことでもあり、興味深いものだったので記しておく。出席者は3名。手紙文化研究家の中川越氏、早稲田大学名誉教授・日本近代文学館理事長の中島国彦氏、東京都市大学准教授の丸島和洋氏(同誌での記載順)。中川氏は元編集者で現在は手紙文例集の執筆など手紙の研究されている。中島氏は『漱石全集』の「彼岸過迄」の注解、「書簡集」の現物調査や注解を担当された。丸島氏は歴史学者で専門は戦国時代から安土桃山にかけてで、大名同士の外交交渉を研究されている。
自分が短歌や俳句で遊ぶようになって気づいたことでもあるのだが、言葉は初めに相手ありきだと思うのである。そのことは以前、noteに記した。
本誌座談会の最後のところは、まさにそういうことでまとまっている。
このまとめで尽きているのだが、この座談会にはさまざまな事例が引き合いに出されていて興味深い。近頃世間で目にする文章は無闇に喧しいと感じるものが多いのだが、その最たる理由は誰に何を訴えたいのか不明瞭である所為だと思う。相手を理解した上での言葉は、本当に言いたいことを敢えて言わずにおくという芸当ができる。本誌で言及されているものでは晩年の夏目漱石が芥川龍之介と久米正雄に宛てた手紙とか、胸を患った梶井基次郎が川端康成に宛てた手紙がそうした例だ。前者は死期が近いことを意識しつつ、それを表にはしない。後者は、病気のことなど一言も触れていない。それで通じたであろう言葉のやり取りに美しさをさえ感じる。
学問として手紙を読むとなると用紙についても分析が必要らしい。今の個人の生活の中ではそこまで突っ込んで手紙を考えることはしないだろうが、用紙や筆記具についてはこだわりのある人は少なくないようだ。それは相手に対してどうこうというよりも、自分の中での相手の位置付けを表現する作法のようにも思う。文章や文字そのものだけでなく、用紙、筆記具、封筒、切手、投函の方法、など手紙にまつわるありとあらゆる選択肢を組み合わせて文章の内容にさまざまに陰影を与えることで見た目以上のことを表現できるのが手紙だと思う。但し、そういう非言語情報を読み解く知性と感性がある相手がいれば、という条件が付くのだが。
ところで、『銀座百点』は銀座に店を構える商店の広報誌として1955年に創刊された月刊誌である。その趣旨は創刊号の「御挨拶」に記されている。
一応、定価が付いて定期購読ができるようにもなっているが、会員店の店頭で無料で配布されているので実態としてはフリーペーパーだ。しかし、世間一般のフリーペーパーとは比べ物にならない豪華な執筆陣を擁しているところに本誌の価値があると思う。今回紹介した座談会でもわかるように内容が濃密だ。毎号欠かさずというわけにはいかないのだが、銀座に出かけた時には入手するよう心がけている。
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