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月例落選 俳句編 2022年12月号 一方で拾う神あり

投函したのは8月29日。暑い盛りではあったが、9月の声を聞く頃になると気持ちとしては楽になる。今年もエアコンなしで夏を乗り切った。

題詠のお題は「静」。「静」という文字を見て思い浮かぶのは文字通り静かな様子、静かであること。つまり、句になるようなことが思いつかない。無理矢理の句になってしまった。

とろろ汁一人静かに夜勤明け

夜なべして静かに闇が冴え渡る

季語は「とろろ汁」と「夜なべ」でどちらも秋。夜の遅い勤務の時期が長く、家に帰り着いた時に朝刊の配達の人とすれ違うようなことも珍しくなかった。そういう静かな空間や時間はけっこう気に入っている。今は朝のシフトなので、平日は午前4時半に起床して5時半頃家を出る。駅までの道は昼間よりも静かだが深夜ほどではなく、世界に自分一人だけ、というような瞬間はほとんど無い。しかし、健康のためには夜遅いよりは朝早いほうがいいのかもしれない。

雑詠は以下の3句。

秋日影そこで季節を確かめる

浮世事笑い飛ばして今日の月

西日さす機嫌直しに桃を剥く

今年は10月の前半くらいまで暖かというか、暑かった。外にいるときなどは、日影に入った時に多少涼しくて、そこで無理矢理「ま、一応秋かな」と納得したりする。品種改良の所為なのか、温暖化の所為なのか、本来なら夏が旬の果物も9月中は当然として、10月に入ってもまだ出回っていたりする。「まだ桃出てんの。へぇ」なんて言いながら食べたりもする。それでも、夜空の月は流石に夏の盛とは趣を異にする。温暖化というような人類全体に関わる心配事も、個人の些細ではあるけれど人類の問題以上に自分にとっては深刻な心配事も、月とか星とか天体の大きな営みの下では笑い事にすらならない。

ところで、岡田耕さんという俳句のnoteを書いているかたが、私が昨年11月に上げた俳句の記事を取り上げてくださった。岡田さんに感謝。

霜の声自給自足の土の上

この俳句の記事の方にも書いたが、脱サラして山梨県で無農薬の農業を営んでいる人から野菜を定期的に買っている。その記事には書かなかったが、「霜の声」には「下の声」の意味も掛けている。「下」とは「下肥」のことだ。畑の「土」の句なので、時期の「霜」と畑の「下」をかけているという、我ながら上手い句だ。土を覆う霜や霜柱と土の下の肥料の働きで、寒い朝の畑の土は見た目以上に饒舌なのである。ま、しかし、いまどきは「下」は通じないだろうとも思う。

「目黒のさんま」という落語がある。サンマの件の前に、菜葉の話が入ることがある。殿様が馬で遠乗りをして、出かけた先で腹を空かせてどうにも我慢ができなくなってしまった。たまたま近くの農家で昼餉にサンマを焼いていて、それをご馳走になったら、あまりの旨さに感激して、、、という噺だ。サンマも旨かったが付け合わせの菜葉も旨かった。ところが、屋敷で出される食事の菜葉は見た目が同じなのに味が無い。不思議でもあり、不満でもある。家来に理由を尋ねたところ、屋敷で出すものは殿様が口にするものなので、肥料にも気を遣うが、下々が食べるものの方は下肥を使っているからだという。殿様は「下肥」の意味がわからないので、

「苦しゅうない、ここに下肥をかけて参れ」

と菜の皿を突き出す。ここで客席がドーン、というわけである。

前にもどこかに書いたが、私は幼年時代を埼玉県戸田市下笹目というところで過ごした。3歳から11歳にかけてのことだ。暮らし始めた頃はまだ北足立郡戸田町だった。小学校低学年の頃までは田圃が広がっていて、田にはところどころに肥溜があった。少し大きめの井戸のような外見だが、そこに糞尿が蓄えられているのである。下水道が整備される以前、家庭のトイレは汲み取り式で、定期的に公共の糞尿回収車が来るのだが、不定期に近所の農家の人も回っていた。今はすっかり見かけなくなったが、大便器のある部屋は、しゃがんだ時に少し目を下へ向けたあたりの位置に引き戸をはめた小窓があった。農家の人は勝手に糞尿を持っていくのではなく、当然、家の者に声をかけて了解を得てから裏に回って、便所の外のその蓋を開けて長い柄杓のようなもので汲み出して、振り分けになっている桶に入れて持っていく。その際に、その小窓を開けて小銭を置いていくのである。そうやって桶で集めた下肥を肥溜で自然に発酵させて肥料にしていたのだ。

つまり「下肥」とはそういう肥料のことだ。噺の中では、だから殿様の食事に使う菜葉はそういう肥料を使わない殿様専用の畑で作るというのである。家来が下々が食べる菜葉は「下肥を使うので味が違う」と言うので、「下肥」を知らない殿様は「ここにかけて参れ」と応えたのだ。今は客が「下肥」を知らないので、「目黒のさんま」でこの菜葉の件を入れる噺家はいないのではないだろうか。

そして、「霜の声」で「下の声」を連想する読み手も多分そんなにいないだろう。

余談だが、家庭菜園で人糞を肥料に使って野菜を作り、それを食べて寄生虫由来の病気になる事故があるらしい。糞尿は肥料ではない。肥溜である程度の時間をかけて発酵するから肥料になるのである。ホカホカのをいきなり撒いたら、「ここに下肥をかけて参れ」と言う殿様と似たようなものだ。知識の問題ではなく思考の問題だと思うのだが、世間が平均的に殿様並の暮らしになったということなのかもしれない。

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熊本熊
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