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山川方夫 著 日下三蔵 編 『長くて短い一年 ショートショート集成2』 ちくま文庫

総じて『ショートショート集成1』よりも個々の話が長めになっている。長くても面白ければいいじゃないか、と思わないこともないが、何事もサイズというのは思いの外大きく作用するものだ。昔、LPレコードのジャケットがそのままCDのジャケットになると「こんなはずじゃ、、、」というのはよくあった。それは同じ画像の話だが、文章でも尺というのは読後感に影響があるのではないか。そんなことを思いながら本書を読了した。

表題作品集の『長くて短い一年』は14篇の短編を内容の季節感で12ヶ月に割り振った構成になっている。『集成1』では『夏の葬列』が自分には印象深い作品だったが、本書でも『他人の夏』という作品が心に残った。物語よりも、そこで語られる台詞だ。

主人公は海沿いの街で暮らす中学生の男性。夏休みに兄が経営するガソリンスタンドでアルバイトをしている。街は避暑や海水浴の客で賑わっている。客の車を水洗いする仕事が多く、午前1時までかかって仕事を終えた日、久しぶりに夜の海を泳いだ。星空の下の黒い海を泳いでいるうちに沖にまで来てしまった。そこで誰かが泳いでいる。昼間、赤いスポーツカーでやって来た客の若い女性だった。彼は「大丈夫ですか?」と声をかける。「いいの。ほっといてよ」と返されるのだが、その後に「あなた、この町の人ね?」と問われ、短いやり取りを経て漁師だった父親について語るのである。たぶん、泳ぎながら。

「親父がぼくにいったんです。死のうとしている人間を、軽蔑しちゃいけない。どんな人間にも、その人なりの苦労や、正義がある。その人だけの生き甲斐ってやつがある。そいつは、他の人間には、絶対にわかりっこないんだ、って」
 女は無言だった。遠く、波打ち際で砕ける波の音がしていた。
「人間には、他の人間のこと、ことにその生きるか死ぬかっていう肝心のことなんかは、決してわかりっこないんだ、人間は、だれでもそのことに耐えなくちゃいけないんだ、って。……だから、目の前で人間が死のうとしても、それをとめちゃいけない。その人を好きなように死なしてやるほうが、ずっと親切だし、ほんとうは、ずっと勇気のいることなんだ、って……」
 女の顔に夜行中の緑の燐光が照って、それが呼吸づくように明るくなり、また暗くなった。女は怒ったような目つきで、海を見つめていた。
「ぼくの親父も、自殺したんです。背骨を打ってもう漁ができなくなって、この沖で銛をからだに結えつけてとびこんじゃったんです。……あなたも、ぼくはとめはしません」
 彼は岸に顔を向けた。そのままゆっくりと引きかえした。真暗な夜の中で、ただ夜光虫だけが彼につづき、波間にあざやかに濡れた色の燐光を散らしていた。

山川方夫『長くて短い一年』ちくま文庫 160-161頁

この話を読んで、世間は無責任で薄情で卑怯な人間で溢れかえっていることを思った。自分もその無責任で薄情で卑怯な方の一人なのだが。

もう一つ、『長くて短い一年』の12月に当たる『クリスマスの贈物』の中の『最高のプレゼント』が面白かった。話の中で言及されているのはシバの女王とソロモン王なのだが、オー・ヘンリーの『賢者の贈物』を下敷にしているような気がする。そこには『賢者』とは別の美しい話が展開している。

山川は不慮の事故のため34歳で亡くなった。先日、夏目漱石の『こころ』を読んで、漱石の若さを感じたということをこのnoteに書いた。『クリスマスの贈物』も若い人でないと書けないような気がした。人は社会的な動物である、と言われる。その社会性は、他人を認識するのにその人の社会的な位置づけが大きく影響するとか、何かの有無や成功失敗のような二項表現のタグとか、財産などのデジタル表示可能な尺度といった「客観性」で構成されると思われがちであるように思う。しかし、そういうものに左右されているうちは相手のことが見えていない。『最高のプレゼント』は典型的にそういう類の「社会性」を土台にした話だ。山川が作品を残した昭和30年代のこの国の「社会性」、つまり自分が生まれた頃の社会を端的に表現するものとして、山川の作品はどれも興味深く、そういう中で『最高のプレゼント』は面白かった。

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熊本熊
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