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「春日信仰と小田原文化財団 春日神霊の旅展に寄せて」 マクラ編
3月19日土曜日に小田原に行って標題の講演を聴いて、小田原に一泊し、翌20日日曜日に金沢文庫に行って標題後半にある「春日神霊の旅展」を観て帰ってきた。小田原文化財団は杉本博司が2009年12月に創設した財団で、主な活動として以下のような説明をしている。
伝統芸能の再考を試み、古典芸能から現代演劇までの企画、制作、公演を行い、また既成の価値観にとらわれずに収集かつ拾集された「杉本コレクション」の保存および公開展示を通して、日本文化を広い視野で次世代へ継承する活動を行います。 活動拠点として、小田原市江之浦に舞台、作品展示室、茶室などを配した芸術文化施設を2017年秋に開館。
この説明の中にある「杉本コレクション」は、杉本が50歳を過ぎて自分の作品が売れるようになってから集めた古美術骨董の類だそうだ。自分の気に入ったものを集めたら、結果として半分以上が春日信仰関連のものになったという。今回、金沢文庫の方でそのコレクションを中心にした展示を行う(2022年1月29日〜3月21日)一方で、小田原で講演会を開催(3月19日)、小田原市内に建てた江之浦測候所の敷地内に建立した春日社の社殿に春日大社から御霊分けを行う(3月末)。
江之浦測候所の春日社は現存最古の春日造の社殿とされる忍辱山円成寺の春日堂・白山堂(国宝、見出し写真)の写しだそうだ。たまたま昨年10月に円成寺に参拝した。何か目的があってのことではなく、なんとなくそっちの方へ行ってみようと思っただけだ。同寺もそうだったが、奈良の寺社は参拝客が少ない。そして長い歴史がある。人が少なくて長い歴史があると独特の空気が漂う。これが堪らないのである。今回の講演を聴くまで、その円成寺の春日堂と今回の小田原文化財団のイベントにつながりがあるなんて全く思いもしなかった。こういうちょっとした縁が愉しかったりする。
10月に円成寺に参拝した折、門前の食堂で「松茸そば」を食べた。旬のものだからと思って注文しただけで、どうせ鉋で削ったような「松茸」が二切れほど浮いているだけだろうと思っていた。ところが、予想に反して松茸一本分の歯応えのある厚みのスライスに覆われた「松茸そば」だった。寿命が延びたような気がした。
それで小田原だが、初めて訪れた。新宿から小田急ロマンスカーで59分。小田原といえば蒲鉾と提灯とお城くらいしかイメージが湧かなかったが、思いの外面白い土地だった。
小田原着が9時59分。講演は午後2時からで、4時間ほどあったので、講演会場の確認も兼ねて小田原城の散策。しかし、天守閣には入らなかった。城郭にはあまり興味がないのである。城内に報徳二宮神社がある。通りかかって「あ!」とか「ん?」とか思った神社にはお参りする。たいていどこの城址にも神社があるのだが、境内全体の雰囲気と御社の鰹木の数は必ずチェックする。ここは鰹木が7本。ちょっと素通りはできない数だ。ちなみに鰹木は最大10本だ。これは伊勢神宮内宮だけ。外宮は9本。これを基準に格を判断している。本当はちゃんとした神社の格というものがあるのだろうが、別に神社庁に義理はないので自分で勝手にそういう判断をしてお参りしている。但し、なかには勝手にたくさん並べている神社があるので要注意だ。
その報徳二宮神社だが、境内にあの二宮金治郎の像がある。単に「二宮」つながりかと思って由緒書を読むと、二宮金治郎は小田原の人なのだという。ちっとも知らなかった。「報徳」は金治郎の思想だそうだ。初めて知った。境内にはカフェがあるが、「きんじろうカフェ」と「小田原柑橘倶楽部」が一つ屋根の下に並んでいる。昼時だったので「きんじろうカフェ」の方で「呉汁セット」をいただいた。これが美味いのなんの。呉汁は二宮尊徳翁が昼食に召し上がっていたのだそうで、それに因んだメニューだそうだ。
その二宮尊徳(金治郎)なのだが、私が通った小学校の校庭の隅にも銅像があった。おそらくエライ人なのだろうが、どうエライのか知らなかった。それを今回、小田原で知った。要するに財政再建請負人だ。中農の家に生まれ、幼少時はそこそこ恵まれた暮らしだったようだが、酒匂川の氾濫で自家の田畠が使い物にならなくなり、その数年後に父母の順に亡くなって一家離散。金治郎は伯父に引き取られ肩身の狭い思いをする。しかし、苦学しながら学んだことを実践することで蓄財して伯父から独立、立派に世帯を構えるまでになる。自分だけでなく地域の人々の暮らしも再生、小田原藩の役人に取り立てられて藩の財政まで立て直す。その功績が幕府にまで聞こえ、幕府の役人に取り立てられる。あちこちの窮乏した地域の再生に尽力し、立て直した村落の数600有余。仕事先であった日光今市で70年の生涯を閉じた。その再生の基礎が「報徳」とされる考え方だ。
尊徳は物や人に備わる良さ、取り柄、持ち味のことを「徳」と名づけ、それを活かして社会に役立てていくことを「報徳」と呼びました。荒れ地にも荒れ地なりの徳(良さ、取り柄)があります。荒れ地の徳を人間の徳が活かすことによって、実り豊かな田畑に変えていくことができます。ワラの徳を活かして、ナワやワラジ、タワラなどの新しい徳を作ることができます。これが「報徳」なのです。尊徳は「あらゆるものに徳がある」と考えました。これを「万象具徳」といいます。
神社の一の鳥居の前に報徳博物館があったので入館した。入館料300円だが、切符、チラシというどこの博物館でもあるようなものに加えて『報徳資料』、『やさしい報徳のはなし』、『円相図でみる二宮尊徳の思想 展示パネルの説明』、『やさしい報徳シリーズ1 二宮尊徳ゆかりの地と、博物館めぐり』と資料の大盤振る舞い。もちろん、「結構です」と断ることもできるが、せっかくなので差し出されたものは全て頂いた。展示室はそれほど大きくないが、二宮尊徳の生い立ちと功績がわかりやすくまとめられている。尊徳の言葉が短く深く的を得て良い。
経済なき道徳は戯言であり 道徳なき経済は犯罪である
マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』よりも短くて的確だ。
報徳博物館の少し先に静閑亭がある。ここは旧黒田長成侯爵別邸で今月末まで一般公開されている。小田原は政財界人が別邸や農園を構えた土地だ。静閑亭のチラシに紹介されているだけでも伊藤博文、山下亀三郎、松永安左エ門、益田孝、大倉喜八郎、山縣有朋、田中光顕など14件が挙げられている。要職にある人たちが同じ地域に別荘や別邸を構えて、そこでただのんびりしているはずはないわけで、当然、相互に往来して様々な重要案件が議論されたであろう。つまり、「小田原評定」は北条の時代のことに限らず、もっと近い時代にも別の形で受け継がれていたとも言える。本当に大事なことは会議室では決まらないものなのだ。今の時代の大事なことはどこで語り合われているのだろうか。少なくともパワポのプレゼンで決まるようなことは、大したことであるはずがない、と思う。
静閑亭では地元の木工作家の作品展が開催されていた。欲しいと思うものはなかったが、楽しい展示だった。静閑亭を出て、ういろう店に寄ってういろうを2本買ってから講演会場の三の丸ホールに着くと、入場を待つ人の列がある。そんなに人気の講演なのかと驚いたが、単に入口で体温測定があって順番待ちの状態になっていただけのことだった。
小田原のういろうは初めてだったが、今まで食べたういろうの中では一番美味しい気がする。味も良いが店も立派な構えで、一見の価値はあると思う。
以上、マクラとして。
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