青花の会 講座 『古道具坂田と私 4』 尾久彰三
この講座の「2」は、うっかりして予約を入れそびれた。「3」は予約したことをうっかり忘れた。大丈夫か、俺、と苦笑する。
そして忘れないようにあれこれ工夫を尽くしてこの日を迎えた。少し早めに会場に着いたので、近くの小さなカフェで時間を潰すことにした。店の前にある黒板に書いてあった「特製」のみつまめを頂こうと思った。店には客がいなかった。
「こんにちは。席はどこでもいいですか?」
「いらっしゃい。どうぞ、どこでも」
カウンターの端の席に荷物を置いた。置きながら
「お汁粉ください」
と言う。言いながら、なんとも言えない違和感を覚える。カウンターの向こうでガスレンジに火を入れる音がする。みつまめに加熱の必要なものって、あったっけ?ひょっとして、みつまめを頼むつもりで汁粉を頼んじゃった?しばらくして、店の人が小さな盆に汁粉と茶と塩昆布をのせて持ってきた。あんみつが食べたかったのに。大丈夫か、俺、と苦笑する。
会場には時間の10分ほど前に入る。小さな会場で、席は既にほぼ埋まっている。講師の尾久さんも前にいて、最前列壁側の席にいる民藝館の月森さんと何やら話し込んでいる。私は部屋の出入口すぐの席に座る。私の後に来たのは一人だけだった。
講座が始まる。尾久さんはこの世界では大御所で講師役など数えきれないほど経験しているはずだ。ところが、のっけからハイテンションで、話が支離滅裂だ。大丈夫か、尾久さん、と笑ってしまう。
尾久さんの手元には数冊の書籍と、たくさんの紙が挟まれたノートがある。講座で話すことをまとめてきたのだという。話し忘れるといけないからと、はじめは手元のノートに目を落として始まったのだが、その忘れてはいけないことといくつかの脱線を一気に話し終えると、妙な間が訪れた。
「休憩しましょうか」
開始から、まだ30分ほどしか経っていなかった。
5分ほどの休憩の後、相変わらずあっちゃこっちゃではあったが、だいぶ調子に乗ってきた。興味深い話はたくさんあったが、特に印象に残ったのは村田新蔵さんのことだ。
春日部の駅前で生活工芸資料館という私設美術館のようなものを経営し、そこでコーヒー、紅茶、ココアだけしか出さない喫茶コーナーもやっていたそうだ。その生活工芸資料館を始めたのが1972年、古道具坂田の開店の前年だ。重なっているのである。村田さんと坂田さんとの間には当然、交流があった。坂田さんが古道具坂田を始めて後には、坂田さんが欧州へ買い付けに出かける際に、村田さんがお金を預けて買い付けを依頼するまでになったそうだ。その預けるお金というのが、一回の買い出しに一億円ほどだったという。この講座の第一回の時に、司会進行役の菅野さんが坂田さんの買い出しに同行した時の話をしていた。買い出しの坂田さんは近寄り難い雰囲気だったと話していたが、なるほどそういうことかと今になって坂田さんの真剣さの中身を垣間見たような思いがした。金額の多寡ではなく、つまり、買い出しとは自分の鑑識眼、人間坂田そのものが試される場であったということだ。賃労働ではなく、自分の足で立って生計を立てるというのはそういうことなのだと思う。
坂田さんは「古道具屋」を始めるとき、諸般の事情があって、いわゆる骨董の業界からは排除された存在だったのだそうだ。それで、開店した頃は、麻布十番を早朝に歩いて、ゴミとして出されているもののなからコレというものを拾い集めて店に並べていたという。開店後最初に売れたのが、そうやって集めたスチールの折りたたみ椅子。売価200円だったそうだ。閉店の頃に扱っていた椅子の中には200万円ほどのものも当然あっただろう。金額の多寡ではなく、価値を創造するということがどういうことなのか、どれほど厳しいことなのか、坂田さんの書いたものや監修した美術展を見て考えさせられるのである。語り口が優しいから、尚更、背後にある厳しさが怖いほどに感じられるのである。
私自身はこのnoteの駄文に如実に表れているように、何の能も取り柄もない一介の賃労働者だ。駄文を重ねるほどに、自分のつまらなさ加減がますますはっきりとわかって、妙に納得がいくのである。そのつまらなさが面白くて、ぽつりぽつりと書いている。美術や工芸に興味を持つようになったきっかけは陶芸を習い始めたことだが、陶芸を始めたのはふとした思いつきだった。美術や芸術という、それ自体は人の生活に実用の利益をもたらさないものが、ビジネスとして成り立ち得ることの不可思議を思わないわけにはいかないのだが、この話はまた長くなるので今はやらない。ただ、はっきりと言えることは、大丈夫じゃないぞ、俺、ということだけだ。
村田さんのコレクションは西洋民芸一本槍だったという。なぜそうなのかは本人にしか語ることができないのだが、その本人は2008年に78歳で亡くなられている。生活工芸資料館も駅前の区画整理で閉じ、せっかくのコレクションも退蔵されてしまったのだが、今年、晴れて日本民藝館に寄贈されることになったそうだ。お披露目は9月14日から11月23日を会期とする「村田コレクション受贈記念 西洋工芸の美」にてとのこと。個人的には西洋民芸にはあまり惹かれないのだが、この展覧会は是非観に行こうと思う。