人間性が変わった
大きな震災を2度経験。 導かれて、確信する、熊本への思い
東京都や神奈川県で育った瑠璃さん。2011年に起きた東日本大震災を機に、母のふるさとでもある熊本へ移住。さまざまな偶然と出会いを大切にし、好きなこと・やりたいことを見つけイキイキと活動中の瑠璃さんに、話を伺いました。
熊本に来る運命になっていた。
今ではそう思います
ー 素敵なお着物ですね!ご職業は何されてるんですか?
ありがとうございます。本業は声楽家である母のマネージメントなんですが、「熊本城下町古町案内人」という活動もしています。あと、フランス語教育をしている学校にいたこともあり、フランス語の発音指導講師などもしています。
ー 熊本へはいつ来られたんですか?
2011年の4月にこちらへ移りました。移住したきっかけは「3.11」、東日本大震災です。地震が起きて数週間後には熊本へ来てましたね。母の実家が熊本市の街中にあって、私が生まれたのも熊本なんですけど、赤ちゃんのうちに東京へ移り住んだこともあり、地元だけど地元じゃないような。不思議な感覚を持っていました。
ー 東日本大震災がきっかけだったんですね。それまでは熊本への移住を考えていましたか?
熊本は小さな頃から「母の故郷」としてよく来ていて、すごく好きだったから思いを募らせてはいたんです。そんな中ですごい偶然が重なって。ちょうど仕事を辞めて時間ができた時に、東京に住んでいる母のいとこが、「伯父が亡くなり遺品整理をしに熊本に一ヶ月ステイする」という話を聞き「私も行きたい!」って本能的に思ったんです。それが、2011年3月3日。東北大震災の8日前のことです。
仕事を退職した後で心身共に疲れていたこともあって、大好きな熊本にいられるなら、これはいいリフレッシュになるだろうし、手伝いもできるし。とショートステイのはずだったんです。その時はまさか一週間後に自分の人生をも揺るがすような大きな震災に遭うとは思ってもみませんでした。
ー すごい偶然ですね…。お一人で移住を決断されたんですか?
母と2人暮らしをしていて、母に打ち明けたとき驚いてはいたものの、私はもう東京にはいられないと思っていたし、移住したら戻らない覚悟がありました。それで母を説得して一緒に熊本へ。ただ、熊本市内に母の実家はあるけれど、住めるような環境ではなかったので、熊本に来て一時期はホテル泊だったんです。ただ、このホテル生活で、熊本で生きていこうと決意する出来事が起きたんです。
ー なんでしょう、気になります。
熊本市での滞在先は、当時営業していた「熊本交通センターホテル」でした。すると、「東京の震災はさぞお辛かったでしょう。私たち何もできないから…」と言って、スイートルームを用意してくださったんです!
「東京が今どんな状況になっているかニュースでしか私たちにはわからないです。もし、辛い思いをして熊本へ来られたんだったら、ここでゆっくりお風呂に入って、ゆっくり眠って、それから次のことを考えてくださいね。」と言ってくださって。そのご厚意に「私、熊本好きだわ〜〜!」と心底感動しました。
また、ホテルの横に出店していた焼き芋屋のおじちゃんも「これ食べんね」って焼き芋くれたりして。「東京から来たあんた達にする事は、東京にいるみんなにしたい事と同じだけん。」って言ってくれて。その時ハッとしたんです。こういう感覚の人たちと一緒に生活したい、共に生きたい、って。
実は小さな頃から東京にいることに違和感を抱いていて、それが何かずっと分からなかったんですが、ホテル泊をきっかけに頭の中のパズルのピースがパチンと綺麗に埋まったんですよね。ここに来るべくして来て、導かれるべくして導かれたんだって。東日本大震災はとても悲しい出来事だったけれど、私にとっては新しい人生を始められるきっかけでした。25年間東京での生活を送ったから、もういいんじゃない?と思えたんです。あとはこの熊本という土地で、人生を豊かに過ごしたいなと思いました。
時間の使い方から、人間性まで。
いろんな変化がありました
ー 本当に辛いときだったからこそ、思いがけない優しさが身にしみたんですね…。移住してからは、どのような生活を送っていますか?また、東京の生活と比べて変わった事はありましたか?
仕事面では、移住前からの声楽家である母のマネージメントを引き続きしています。私が無理やり母を熊本に連れてきたような形だったので、熊本と45年離れていた母はどう思っているんだろうと、そればかり心配でした。でも、帰ってきてすぐに電車通りや金峰山のあたりに落ちていく夕日を見て「帰ってきてよかった」「帰って来させてくれてありがとう」と言ってくれたことで救われました。
熊本生活が始まり、時間の使い方がものすごく変わりました。東京都内だと、満員電車に揺られて片道1時間かけて通勤なんて当たり前。そんな混沌とした時間を熊本では、誰かと話したり、素敵なカフェでお茶をしたり、そんな時間に当てることができる。物質的にも精神的にも豊かな時間へと変える事ができる。こんないい事を25歳でやっと気づけたんですよ。もったいなかったな(笑)。
あと、性格というか人間性が激変しました。元々、ものすごくネガティブだったんですが、超が付くポジティブに変わったんです。
ー それってすごい変化ですね!表情豊かで明るい瑠璃さんを見ていると、ネガティブという文字は似合わない気がします。
昔からなんでもマイナスに考えてしまい、ツンツンしていたんです。都会という世界では尖っていないと先に進めないと思っていました。ただ熊本へ来てからは、「表情が明るくなった。幸せそうで柔らかい雰囲気に変わったね。」って言われるようになったんです。
自分でも驚きだったんですが、柔らかい雰囲気を纏えるようになりました。こんなにも変わったのは、きっと熊本の水が合っていたのかなと思います。
水がいいと、ご飯やお酒も美味しくて、人もいい。いい事しかないんです。マイナスな部分もあるかもしれないけど、良い事を考えたら悪い事さえチャラになると思うんですよ。
ー 熊本へ移住された方が口を揃えて「水がいい!」っていうのは、やはり本当なんですね。
瑠璃さんは「熊本城下町古町案内人」という活動もされていますよね。どういう経緯で活動することになったんでしょう?
元々着物がすごく好きで、着付けも一人で出来るようになっていて。そうしたら母のいとこが「着物好きなら、同級生に着物の面白いおじちゃんがいるよ。」って教えてくれたんです。それが上村元三さん。古町で『上村元三商店』を営み、城下町のガイドでもある「熊本城下町古町案内人」の代表もされてます。
着物をきっかけに元三さんと知り合えて、熊本の城下町と言われる新町・古町を見ていくうちに、この町に恋をしてしまったんです。風情と人情味があり、なんてポテンシャルを秘めた良い町なんだ、と。そこで2011年の9月から案内人という立ち位置で、この町の魅力をいろんな方に伝える活動を始めました。
今だからたくさんの方達と知り合えたけど、移住したての頃は熊本に家族以外知っている人が一人もいなくてとても不安で。そんな絶望感を味わったからこそ、こちらに移住してきた人たちの助けになりたいと思っています。私、東京から移住してきたことを、公言するようにしているんですよ。そういう人もいるんだって、私のような移住者を勇気づけられる存在になれればという思いです。
ー これから熊本市へ移住を考えている人たちにとっても、これからさらに復興を進める熊本市にとっても、瑠璃さんは大きな存在だと思います。
2016年に熊本で地震があった時は、私がこの町を守らなければという使命感さえ感じました。倒壊しボロボロに傷ついた家屋を見て、この5年間受け入れ支えてくれたこの町に、どうにかして恩返ししなければ!って。
そこで立ち上がったばかりの『くまもと新町古町復興プロジェクト』に参加させてもらい、新町古町の現状を知ってもらうことと、震災以前よりも素敵な町にするために、歴史的建造物の調査・保全・再建や、復興イベントの運営などに奮闘しました。この町に恩返しし続けていくというのが、これからのライフワークです。
ー たった8年で大きな震災を2度経験した瑠璃さんですが、前向きに明るく生きている姿を見ていると、本当に熊本に来てくださった事を嬉しく感じますし、住んでいる私たちにとっても励みになります。最後に、移住を検討されている方にメッセージをお願いします。
まずはちょっと帰ってみたり、訪れてみたらいいと思います。これから熊本は大きく変わろうとしているので、この変わっていく熊本を一緒に担っていきましょう。
お名前:瑠璃さん
取材時の年齢:34才
ご職業:熊本城下町 古町案内人
移住歴:9年目
家族構成:母
移住前の居住地:東京