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どっちを調べるか問題

こんにちは、よんごひんごです。

ルーツ探しを行うとき、
①家に伝わる文献(家系図など)からたどる
②明治期までなら、戸籍を調べる
③お寺の過去帳を調べる
などの方法があるわけなのですが、

①の家系図は、爺さんの本家にあるらしいのですが、その本家がどこにあるか不明なので断念(鋭意調査中!)

③の過去帳については、廃仏毀釈がその行く手を阻みます。
明治初期において、全国的に発生した廃仏毀釈ですが、特に鹿児島は激しく、幾つものお寺が姿を消していきました。その中で、過去帳も失われていくわけです・・・
しかたないので、
②の戸籍を使って明治期まで調べてみました。

明治までの家系図

系図を遡りつつ確認してみる・・・

まず、祖父は次男だったが、長男が早世したため本来なら家を継ぐはずでした。が、諸般の事情により師範学校(今の教育大学的機関)に通うため、三男が本家を継ぐことになります。この三男の家に家系図が伝わっているらしいです。

そして、曾祖父が松本家から隈元家に養子として入籍しています。これは、松本家が隈元家の株を買って次男を隈元籍にしたことに起因しています。
*これまで「株を買った」と聞いていましたが、正しくは「家部立」といい、分家を設けることらしい。(江戸期はよくあったが、明治期には戸籍の問題で入籍というか立ちをとった物と考えられる。

さてこの場合、どちら(隈元 or 松本)を自分のルーツとして遡るべきか問題です。
しかし、ここで思いました。
「この先も同様のケースは発生するのではないか?」
「まずは、家のルーツを調べて、血のルーツはその後に調べればよいのでは?」

ということで、まずは『隈元家』のルーツを調べていくことにします。 *松本についても並列して調査を進めてますが、記事としては隈元優先でいきます。

ちなみに・・・
口伝によると、父の祖父(?)は、『松本操』というらしいが、戸籍上でその事実は確認できていない。

興三次を、『みさお』とでも読むというのか!?
もしくは、興三次の兄のことなのか?
ちなみに、隼人警察署長だったらしいので、警察署に問い合わせするのもアリかもしれないが・・・まだ電凸していない。

と、いうことで
今後は隈元家のルーツについて調査を継続していくことにします。

もしも、鹿児島出身の隈元・松本(元)の方が運悪くこのブログを見てしまった場合、ご連絡いただけるとありがたいです。

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