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人生の校正はできないことについて。
校正というのはとても地道だけれど、非常に大切な作業だ。読者が読んで「あれ?」と引っかかりを感じないよう、何度も何度も、事実関係を含めて確認する。私も前職は制作会社にいたので、校了前は朝から晩まで校正をしていた。就活のエントリーシートの「特技」に「誤字脱字を見つけること」と書いたくらい、私はもともと校正っぽいことが好きだったので、間違い探しみたいに楽しんで校正作業に励んでいた。
この前、中学生の私が書いたノートをぱらぱらとめくる機会があったのだが、その一節にこんなものがあった。
「私たちの人生は、本に例えられると思う。生まれたときから1ページずつ、ストーリーが編まれていく。そして最後には、1人の物語として、後世の記憶に残される。私は今、人生の何ページ目を編んでいるのだろう」。
なるほどね、中学生ながら良いことを言うじゃないか…と思いながら、ハッとさせられる。人生は、「校正NG」な物語なのだ。私たちの人生は、前進あるのみ。一回止まって表現を推敲したり、過去に戻って文脈を変えたりすることはできない。YouTubeの「THE FIRST TAKE」ならぬ、一発撮りだ。
だからこそ、面白いのだともいえる。人為的な要素が一切介入しないからこそ、私たちの常識を遥かに超えるストーリーが生まれて、私たちはそれに圧倒され、心揺さぶられるのだと思う。実際に、私が一番心動かされるのは、人間が創作した物語ではなく、人が生きた人生の物語だ。(それゆえに、人の人生を取材する「JINSEI Nozokimi Project」を始めたという経緯もある。)校正の余地がないこの世界を、面白がる姿勢で臨みたい。