2020年という病
2020年という後遺症を今なお引きづっている。コロナによって自分と社会の受難の年だった。
グラントは、種の絶滅に対してシニカルにかつ冷静に受け止めた。恐竜が絶滅してしまったように、僕らは何ら偶然的に存在し、偶然的に絶滅してしまうだろうと言うことを受け入れた。それは、ヘーゲルなどの哲学者が人間が一つの完成した姿であるとしたことと違い、人類が最高の状態でもなんでもなく、人類を他の種からの特権的位置を引き下げることに成功している。僕らは、自分たちが最も優れているという物語を生きることができなくなり、絶望が目の前に生じる。
カントは理性で捉えることができない対象に対する感情を崇高を名付けた。この感情は、僕らが掴みたくても掴むことができず、けれども何か深遠なことを意味していると思うということだろうか。絶望は崇高なんだ。
モートンは、僕らの知性を大きく超えた問題をハイパーオブジェクトと名付けた。例えば、地球環境問題が挙げられる。地球温暖化を避けるための議論を行っても、数世代においても地球全体においても考えることができず、最終的に国家間の利害を言い合うことになってしまう。
ハイパーオブジェクトはカント的な崇高の対象である。僕らは崇高なものを目の前にして、理性が止まり、何も考えられなくなる。大きすぎて、考えることを避けてしまう。
自分の理解を超えて、どうしようもなく大きな出来事を突きつけられた時、認知が止まる。思考が止まる。考えられなくなる。考えたくなくなる。
2024年の9月は旧友との再会が多く続いた。メイヤスーの言葉をもじれば、僕個人における2020年以前性との出会いに違いない。誰がなんと言おうと、日本において1945年と2011年と同じぐらい、2020年で潮流が変わった。
旧友との会話は、過去への思考的回帰であると同時に現在と過去の差異の再確認である。他人と話しながら、それでもなお自分自身と向き合い、ただただ過去と向き合う時間が旧友との時間である。
それを経て、僕は2020年をいまだ引きづっていることに気が付く。まだ、許せていない、納得できていない感情が確かにそこに存在する。
2022年。やっとの大学で対面授業が普通に始まった時には大学三年生になっていた。教室の場所もわからず、建物の周辺でうろうろしていたら、教室はここかと大学一年生から声をかけられた。その後、学年を聞かれ3年生だと答えると距離を取られた。
ある大規模の講義を受講した際、初回の講義で教員が、「大学1、2年生はほとんどキャンパスに来てないから、慣れないですね。」と言った。僕は忘れられてしまった。
ある日の大学からの帰りのバスで、近くで声が聞こえた。就活のインターンにエントリーシートを出すか出さないかという話をしている。おそらく、大学三年生だろう。何もしていないのに、時間だけが経った。僕の感覚は実際の時間と確かにずれている。それだけがわかった。
この3つの出来事は、僕の知的能力を完全に越えていた。どうしようもないわからなさと、折り合いの付かなさ。拒絶、忘却、齟齬。その全てが僕にとっての理解不可能性を含んでいて、今でもかみ砕けない。これは対象が崇高なるものであったことを意味する。それは絶望という感情にほとんど似ている。
苦しいとでも言えばよかったのか。僕の声は届かなかったし、誰も聞いてくれなかった。自分から言えないことも、誰かに聞かれたら言えたかもしれない。わがままだろうか。わがままであることを自覚している。自覚はしている。
崇高なものを語ることはむずかしい。人間の理性を超えている以上、どうしても表現できない。話そうにも、話すことができなかった。ただそれだけだった。
コロナによる社会活動の停止は、決して人ではなくモノへ向かうことができなくなった人類への警告だと受け取れない。このように主張する多くの人は、それでもなお声が外部に届き、誰かと繋がっている人だったのだから。
2023年10月7日。僕らは叫んでいた声を無視していた現実を付けつけられた。声を聞こうとしたのか?という問いかけは自分へと再帰してくる。
誰も聞いてくれないなら、小さく叫ぶことにした。この世界に少しでも抵抗して、この世界が摩擦力を持てるように。自分ができる範囲で抵抗するために、何かを作ることにした。これは自分がこの世界から忘れられないようにという抵抗でもあると同時に、2020年が忘却されることへの抵抗でもあった。
弱者の声は、イヤホンをしながら歩いているときの鈴虫の声なんだ。それは耳障りの良い音楽を聴くことを一度我慢して、主体的に聞こうとしないと聞こえない程度の声なんだ。