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発達障がいグレーゾーンな私

なんとなく 違和感がずっとあった。
周りがよく言う「ちゃんとしなさい」や親が言う「〜ちゃんは出来るのに」
どう頑張っても出来ない
いわゆる 空回り状態…
ハムスターが 回り車の中を必死で走ってる
そんな感じ…

「私のゴールは一体どこにあるんだ!」

と綴ってる今もゴールは見えていない。
ゴールのテープを切って落ち着きたいものだ。。

私は子供の頃から 団体で遊ぶが不得意で
遊んでいても いつのまにか 置いてけぼりになり
空を眺めて空想の世界に浸るのが大好きだった。空の上に何がいるんだろうとか…
わくわくしていた。

学生時代になると 女子は女子でグループを作り 意味なく トイレに行くのは一緒という儀式?があった。。馴染めない事だらけだけれど 
馴染むしかない。。イヤイヤながらも付きそい
「あーだ、こーだ」の雑談…
そんな空気が伝わったのか ある日突然のハブリに遭う。。
前から誰かがある日突然 ハブリの対象になっていたが 私に対象が来た。
昨日まで仲良かった?グループからは無視。
その他の子達も無視… 私が一体 何をしたんだろ… 本気で悩んで不登校になる。


大人になった私なら その当時の私に言えるかもしれない「気分的なもん。あっという間に標的が変わるから」

…勉強も好きな国語だけは なんとかだったけど 他はダメ。
運動は何故か長距離は得意。

社会人になると 自分の「ダメダメさ」を痛感する。
まず、長々と指示を受けてもどこが重要かがわからない。
お昼 みんなでお弁当食べるのが苦痛
夕方まで気力が持たない…
そんな事?で 入社しては辞めの繰り返し…
もちろん 親は激怒。
親から離れた方が平和かと思い 寮付きの派遣を探してやってみるが
私には1日働く みなさんが当たり前のように出来てることが 難しい…

行き当たりばったりのバイトをして 
その時 知り合った人の家に泊めてもらう…生活を1年くらいしていた。
実家には連絡もしなかった。
なんて 言われるか大体 わかっていたから。
「まわりのように なんで出来ないの?」って。

私が発達障がいグレーゾーンと診断受けるまで
相当 時間がかかった。
診断受けたのが30代半ば過ぎ?

きっかけは たまたま当時通っていたメンタルクリニックの先生から 
調べてみたら?の気軽な提案。
その先生の一言がなかったら 私は暗闇の中を彷徨っていたか 今ここに存在すらしていなかったと思う。
発達障がいグレーゾーン… グレーゾーンって?? 
受け入れるまで時間がかかったけれど 身に覚えはある。
発達障がいグレーゾーンの二次障害で
鬱、統合失調症で障がい者手帳と障がい者年金を申請…受理された。
頭の固かった親は受け入れるまで 私以上に
時間がかかって 本を読み漁った。
姉に至っては 「ズルい」と言い 私を極端に避けている…

障がいになるかどうか…
その人の生活などに困難が生じれば…だと思う。その人自身が例え 診断されても
生きてく中でうまくやれてるなら…なのかもしれない。

私は 綴った通りに 朝から夕方までの仕事ができない。
計算、数字が苦手。堅苦しい文章など←市役所からの手紙 の解読がダメ。先を見通す力がない。衝動性ありetc…

でも 幼少期から身についた?よそでの振る舞いかたなどのせいか
発達障がいがあるようには見えないらしい…
が 長い間 付き合えば 「?」っとなるみたいだけど。

今も障がい者年金をいただきながら
隙間バイトを探してるけれど ない…
これから どう生きてくのか?生きれるのか?
生きるのやめる?
そんな事を考えたり…。

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