「米焼酎500年の文化を広げる」繊月酒造株式会社 4代目社長 ”堤 純子さん”
先祖の方や従業員、地域の方たちなど多くの方の想いと繋がり、米焼酎500年の文化を伝えていく。堤 純子社長のお話をお伺いしました。
堤 純子さんプロフィール
出身地:熊本県人吉市
活動地域:主に熊本・福岡 他アメリカ、アジアなど
経歴:神戸親和女子大学文学部英文学科卒。
広告代理店勤務ののち峰の露酒造(現・繊月酒造)入社。
2016年4代目社長に就任。
現在の職業および活動:繊月酒造株式会社社長
座右の銘:勇気と優しさ
「女社長という立場で成功事例をつくり、モデルになる。」
Q1.堤さんは、どのような夢やビジョンをお持ちですか?
堤 純子さん(堤 以下敬称略)
日本の和酒業界は考え方も古く、娘が女性社長として後を継ぐケースはとても珍しいんですね。昔は「女は蔵に入るな」と言われ、伝統やしきたりを守ってきましたが、今は時代が変わり、女性が杜氏にもなれるようになりました。なので、私は女性社長として成功事例をつくり、「娘に継がせても良い。」と思ってもらえる様なモデルになりたいと思っています。そして、女性社長が増えたら良いですね。
男だからとか、女だからではなく、やりたい人がチャレンジして共存するところまでいけたら良いなと思います。
「全国、海外にも出向き、米焼酎の文化を広めていく。」
Q2.その夢やビジョンを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
堤 焼酎業界は、縮小傾向にあることが課題で、その中でも米焼酎のシェアは低いんですね。けど、米焼酎は500年間続いている伝統文化があります。それを守り、拡げることで、次の世代につないでいきたいです。自社ブランドの「繊月」と、「川辺」を通して、米焼酎を全国に広める事で成功事例をつくっています。
そのために、以下の事を取り組んでいます。
①今まで繊月は、南九州で認知されていましたが、ネット上で発信したり、関東にも出向いて出展する事で、国内のシェアを広げています。
②海外の店舗に出向いて米焼酎を伝えています。食品は、食べたり飲んでもらってからスタートするのでちゃんと現地に出向き、ニューヨークでは50店舗ほどに展開されるようになりました。日本は逆輸入のものも取り入れるので、海外で知られる事も大切にしています。
「商品の質は落とさない。地元貢献。」
Q3.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?
堤 米焼酎は米と水しか使いません。なので、原料の品質は絶対に落とさない事が会社の精神です。「川辺」という焼酎は、全国水質ランキング調査で12年連続日本一の川辺川の水と、この美しい水で育った流域の相良村産のお米のみを使っています。「本当に良いものを使って、本当に良いものをつくる。」自信を持って売れる商品をつくっています。
そして、「繊月」は、地元の皆さんに支えられていますので、地元貢献も大切にしています。毎年行う「繊月祭り」では、1日5000人くらい来場してくれています。焼酎は全て振る舞い、50年の古酒も出します。社員が仕込みをした食べ物は100円で提供し、売り上げは多い時で120~130万円ほど出しますが、その全額を学校や市、被災地などへ寄付をしています。もうひとつ、「繊月カップ」(野球、テニス、バレー、ソフトボール、陸上、グランドゴルフなどの大会)を開催し、スポーツで地域を盛り上げています。いつも支えてくださる地域の方たちに貢献をしたいと思い取り組んでいます。
最近では、100年企業顕彰で、九州沖縄の100年起業の中で大賞を受賞させていただきました。先代や従業員、地域の皆さんの協力のおかげで、大きな賞を受賞でき、感謝の気持ちでいっぱいです。
「家業や焼酎の歴史を知り、”絶対に絶やしてはいけない”と思った。」
Q4.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
堤 私は元々、後継ぎとして育っていないんですね。大学も、女子大英米文学に行って、その後も広告代理店で勤めていました。兄妹が4人いて、兄が家業を継ぐと思っていましたが、兄には兄の人生の選択肢があり、継がない事にしました。その頃、家業も福岡にも進出し、九州に広げて行こうと頑張っていたので、「私も助けれる事はないかな。」と思いました。私も家業のおかげで大学まで出してもらえたので、手伝いたいと思うようになりました。
平成15年に入社して、そこから始めて焼酎の勉強をし、始めて家業の重みや焼酎の長い歴史を知りました。戦争でつくれない時代も乗り越えて、昔の人が頑張ってきたこと。そして、うちの3代目の杜氏が”現代の名工”(淋杜氏)を、焼酎の業界では初めてもらった事などの歴史を知り、「これは、絶対に絶やしてはいけない。」と思いました。広告代理店のお仕事は代わりが効くけど、この役割は私にしかできないと思った事がキッカケです。
「脈々と繋がっている歴史の最先端にいる。」
Q5.その発見や出会いの背景には、何があったのですか?
記者 堤さんの中の、ずっと変わらない基盤やベースはどこから来たんでしょうか?絶やしてはいけないと思えたのは、どんな背景があったからですか?
堤 絶やしてもいいやとは、全く思えませんでした。うちには大きな仏壇があって、先祖代々の肖像や写真が並んでいます。 その肖像や写真を見ると「頑張ります!」といつも思います。先祖だけじゃなく、働いている人も地域の多くの方たちが関わってくれました。多くの人たちの想いや意志が脈々と繋がり、その先端に居る感覚です。なので絶やしてしまったら、その人たちの想いや意志も全てなくなり、自分もなくなるような感じでした。ふるさとがなくなるのが寂しいのと似た感じです。無意識でしたが、先祖をずっと大切にしていたのがあるかもしれないですね。
記者 焼酎ひとつの中に、多くの人の想いや歴史が詰まっていらっしゃり、本当に絶やしてはいけない日本の大切な伝統文化だと思いました。堤さんがモデルとなり、焼酎が広まること、今後のご活躍とご発展を心より応援しています。
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堤 純子さんの活動、連絡については、こちらから
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【編集後記】インタビューの記者を担当した熊倉と荒牧です。
堤さんは、歴代の先祖の方たちや、地域の方たちの想いと繋がり、ご自身の役割を全うされていて、本当に格好いい女性社長だと思いました。日本の美しい伝統文化の価値を感じました。貴重なお話を、本当にありがとうございました!
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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。