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なぜを紐解く


土井善治先生を意識して、もう、何十年になるでしょうか。

このコラムを今まで知らなかったのは、何と言う迂闊な事でしょう。


今年60歳になるまで、ずーっと、私が一人で思っていたことを、きちんと言葉にしていらっしゃる、それを文章で発表してはる。いま、出会えて良かった。

ようやく出会えて良かったです。


これは料理に限ったことではないですが、いろんな場面で「なんでやろ?」「ほんまかな?」と思ってきました。

「ほんまかな?」は、決まりごとにたいしての疑問と、実験の始まり。やってみての検証と納得を得られます。

自分で考えたりやったことは、実体験の裏付けがあるので、納得して出来ます。


例えば、誰かに意地悪されたときに「なんでやろ?」と考えます。大根の皮は剥かないでも良いのです。むかなくても美味しいから。


何で意地悪されるんやろう?と思って考えます。

人など未熟なものだから、虫が好かないくらいで他人にけんつく喰らわします。けど、何処かに悪感情の種はあると思う。それを遡って考えたり尋ねると、案外もともとの原因に行き着いたりします。

たいていは、探究の途中で相手がさらに怒るとか、他の人に止められます。(私がしつこい)


判らないことは「今は判る時期ではないのかな?」と先送りにして、いずれ判れば良いと言うスタンス。

けれど思い出します。



お味噌汁に具を入れても入れなくても、美味しかったら良い。

88歳の叔母さんが、年中黒豆を食べたかったら「また、お正月しよか」って、黒豆を炊きます。うちのきまりは、歳と共に変わって良いですね。


自分でしてきたことは納得できるから、自信を持てます。行動に裏打ちされていて、嘘のない言葉が人の心を動かします。

全部、今ならどこかに書いてあるかもしれません。

でも、自分で導き出した言葉は一味違う、かがやきがある。


何かここまで書いてきて、とりとめはありませんが、土井先生に出会えて嬉しかったこと、これからもよろしくです、と書きたかっただけかもしれません。


ずっと長らく、親しみを持ってテレビを観ていました。

ありがとうございます。


土井先生のお父様が、母と叔母の料理の先生です。これはホントにお教室に通っていて、私が生まれる前に、父母が結婚する頃に、の話。母は名前入りの包丁を持って、お嫁に来ました。

これはまた、別のはなしですけれど。

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