半年がかりのカタルシス
カタルシスとは…
①アリストテレスの「詩学」に用いられた語。悲劇の与える恐れや憐れみの情緒を観客が味わうことによって、日ごろ心に鬱積(うっせき)していたそれらの感情を放出させ、心を軽快にすること。浄化。
②精神分析で、無意識の層に抑圧されている心のしこりを外部に表出させることで症状を消失させる治療法。
だそうで、すなわち『心の中に溜まってしまったネガティブな感情を開放(解放)することで、心に存在する重苦しい嫌な気分が浄化される』ことを意味するそう。
そんなカタルシスを私はここ半年がかりで盛大にやっていた。
今になってわかる事。
「あぁ、あれは私、カタルシスをやっていたのか。」
そのタイミングでは自分がカタルシスをやっているってそんなにわかってなかった、、、てのは嘘だな。うん、半ば確信犯でやっていた。
というのも、私はその時期、心の底からそれができる場を求めていた。
自分の中に溜まりに溜まった、ネガティブな感情や記憶を解放したい時期にきてたからだ。
自分自身や、とても身近な他人を見ていて、ここ数年強く感じた想いがあった。
「トラウマはもし向き合えるならば向き合って、消化(昇華)し手放した方がいい。」
と。
なぜそう思ったかって、心の底にトラウマ的になってしまったものがあると、何かの拍子にその想いが表出したり、そのトラウマからくる反発的な行動をしてしまったりする状況を、自分自身と、身近な他人から強烈に目の当たりにしたから。
きっと、そんな消化が必要ない人も大勢いるんだろう。
でも私には必要だった。
もう、それをしないと無理なタイミングだった。
ひとりで消化しようとできるだけの事をしてみた時期があったものの、わかった事。
ひとりでは深いところまでは消化しきれない。と。
(心理学や脳科学の本を読み漁ってみたり、カウセリング的な物を受けてみたり、それはもう必死でどうにかしようともがいてみた。)
それで、どこか第三者もいる中で消化できる場を求めていたら、有難い事にそんな場にタイミング良く出会えたのだ。
その場で、私はいい大人な歳ではあれど、恥も捨て盛大にカタルシスをやりまくった。(カタルシスをしようとしたつもりじゃなかったんだけど、結果的にそうなってた。)
で半年ぐらい必死で玉葱の皮をめくるように、38年間生きてきた中で蓄積したトラウマ的なものを、大概に解放しまくった。
トラウマと呼ぶほどじゃ無い小石のような引っかかりごとから、ガッツリ傷つきすぎて再起不能に陥りそうになったトラウマまで。
そしたらある日、ほぼ全部出し切って、スッキリしてしまった。
そんな事に囚われていた事が本当にどうでもよくなった。
そこでやっと気づいた。
「あぁ、これぞカタルシス!!!」
そのタイミングに、身近に私のそばにいてくれた人、その空間と時間を共有してくれた人たちには、
なんか、、お恥ずかしい、申し訳ない。
そして心からありがとう!!!
とお伝えしたい。
おかげさまで、もうすっかり乗り越えました。
私はたまたまのご縁で、そんな場と時を過ごしたけど、
心にずっと重く何かがある人、
または過度に無理やりポジティブにしてみたり、見ないふりして押し込めている人、
もしどうにか消化したいなんて思っていたとしたら、表出させる痛みは伴うけど、どうにか必死に消化させようともがき続けたら、ある日ポン!と昇華する日がくる場合もあるかもしれないよと。
って最近そんなことを体験したばかりの私からお伝えしたいです。
押し込めすぎて溢れ出て、埋もれそうになる前に、
腹を据え、腰を据え、グッと向き合ってみたら、
きっとちゃんと昇華できる!
この先の未来は、より軽やかで良いものになる!そんな気がしてる。
そして、生きてる限りエンドレスでいろんな事は起こるので、またこんなカタルシスタイミングが来る時がくるやもしれない。
でも次にそんな時がきた時は、きっと私はまた違う乗り越え方をするんだろうな。
今回気づいたことは、「受け入れる」って事を覚悟をもってする。ってこと。
過去は全て手放してこ!
そして、ここからはみなさまに私ができる事を、愛と感謝をもって還元していきたい。
そう思います。
随分遅れて大人になってやってきた、ここ3年くらいの私の反抗期と過去からの卒業。
さようなら。そしてありがとう。