2035、 青い光、 ミライを見た俺
こちらはKojiさんとクマキヒロシによりそれぞれが別々の主人公の視座で描く小説の”A面”となります。まずはクマキヒロシをお読みいただき続いて、Kojiさんの作品にお進みください。※12/30公開
---▽▲ 以下本編です ▲▽---
2035年の冬。
今年も平均気温が下がったとニュースで報じられていた。
ヒトはほんの少し知恵をつけ、AIを活用して、温暖化を押しとどめる事に成功した。
辛うじて残っていた白い部分を青い地球は取り戻そうとしていた。
日本の大東京では、息を吐くと白くて細かい光りの粒が煌めくほどの寒さに戻っていた。
それは「ミライ」のこと。
▽▲▽
どんな建物にも屋上がある。
普通、そこにはヒトが居ない。
そう。ヒトの居ない世界。
そして、俺が仕事を始める場所でもある。
遠くで雷が鳴っている。雨が降るのだろうか。
いや、違う。この世界が擦れる音だ。
この世界の歪みの音だ。
摩擦の。音だ。
自分の靴先が屋上の「淵」と重なるまで、俺は前に出る。
地上130m。
落ちたら身体が破裂して壊れる。
下界には、沢山の人達が行き交っている。
彼らにはここにいる俺が見えないであろう。
落ちて、壊れて、その時に。
初めて彼らは俺の存在を知る。
風が吹く。
耳には下界の音は聞こえない。地球の声だけが届けられる。
風は前からも、後ろからも吹き荒れていた。
俺の命は揺れている。
ほんの少し、数センチ前。
今、俺は自分の命に触れている。
目の前に死の淵があるから、命の輪郭を感じられるのだ。
大きく息を吸い込んだ。
少しだけ体が重くなる。
『ピーッ。清掃開始の時間に2分遅れています。素早い行動を心がけてください』
それはヘルメットに内蔵されている、タイムキーパーである音声AIのアナウンスだった。
俺はヘルメットを一度タッチしてそのアナウンスを止める。
そばにあった命綱を腰につけてゴンドラに乗る。
乗ると、ゴンドラは俺の体重で揺れた。
▲▽▲
俺の名前はヤスアキである。
俺は高所ビルの窓の清掃員をしている。
しかし、俺が拭きあげるこのビルには「ヒト」は居ない。
中にあるのは高性能なPCだけである。
ある時代より、ヒトの仕事のほとんどがAIに代替されるようになった。
代替されたのは、謂わゆる中間労働層であった。
高度な判断ではなく、学習し、繰り返しにより習得することができる「判断」についてはAIの方が早くて優秀であったからだ。
その結果、ヒトに残された仕事は肉体労働か、高度な判断が必要な職種だけとなった。
だから、このような街中のオフィスビルでヒトが働くことはない。それは、不効率で不合理だからだ。
『30分経過。浄化面積315.25㎡。表面浄化度89%。平均以下です。集中のため深呼吸してください』
AIである、通称ビューティくんは俺にそう呼びかける。
30分ごとに仕事の効率と効果を評価される。
この蓄積が賃金の歩合に反映される。
窓の大きさや、難しさ、その時の天候などを考慮されるので、熟練工がしっかりと評価されるとても公平な人事考課であった。
『一度休憩をしましょう。今日の小話を聴きますか?』
ビューティーくんのその声をかき消すように、ヘルメットを再度叩いた。
ビューティくんの小話は、本当に面白いので今の気分ではない。
上空から息抜きのため、俺は下界を覗き込んだ。
街中には人が溢れている。
日中こうやって街に繰り出す人は仕事を殆どしない。
彼らは僅かな時間で効率よく働き、また自分が投資しているAIからの収入の両建てで生活する新しいヒューマンワーカーである。
彼らと俺のような肉体労働者だけがヒトとして仕事をするようになった。
「或いは、もう俺は人間でもないのかもしれないが」
俺が拭きあげるビルに人は居ない。
今まで、そんな無人のビルの窓を何枚も拭き上げてきた。
一体、誰の為なんだろう。
そんな、とりとめもないことを考えながら、もう一度仕事に戻ろうとしたら目の端に綺麗な青い光の線が見えた。
何かと思い、よくよく下を覗いてみると、青いマフラー巻いた女性が小走りに群衆を掻き分けているところであった。
奇妙に見えた。
周りの誰もが急いでいないのに、彼女は走っていく。
青い軌跡が、目に残る。
彼女には「何か」の目的があるのだろう。
「目的があって走れるということは、良い事なんだろうな」
そのことを、今の自分は望んでいないと知っているのに、何故だか自然と言葉が零れた。
それから、仕事に戻るために前を向くと、綺麗に拭き上げたガラスに自分が映っていた。
「何も無い」自分を見つめる。
まるで虚空の合わせ鏡のようだった。
▽▲▽
数日前の病院での話だ。
「この影はぁ、72%の確率でぇ、肺癌になりますねぇ」
やけに間延びした声で医者と呼ばれる男が、モニターに映るAIの診断結果をそのまま口にした。
俺の胸部レントゲン写真にわずかに黒い影があるそうだ。
医者では判断ができない撮像なのだが、AIの診断結果を信用し、そのまま口にしている。
「まあ、でも癌なんて平気ですよ。お金さえ払えば絶対に治る病気になりましたからね」
と軽々しく口にする。
後ろで、看護婦は無表情で黙々と仕事を続けている。
「治療をしないと死んじゃいますからねぇ。それほど悩まないでください」
と医者の男が続けて言った。
俺の命は金で買えるのか。
それほど今の生が欲しいのだろうか。
胸に何の違和感もない。
病状が出てからでは手遅れだそうだ。
医者が下を向いている俺に向かって、有益とおもわしき情報を投げ入れる。
きっとAIがモニターに出している病名通知後の患者ケアを読み上げているのだろう。
俺にはわからない。
そこまで価値のあるものなのだろうか。
顔をあげると医者の男はいつの間にか狐の仮面をかぶっていた。
表情が消えて、微妙に笑っているようにも見える。
「大丈夫ですよぉ。今の時代はローンも組めるようになりましたからぁ」
そのあとに乾いた笑い声が続く。
「命をクレジットして、お金を借りて、命を伸ばすんですよ。迷う理由がありませんねぇ」
そう言い切ると、光沢のある狐の仮面は揺れた。
▲▽▲
一瞬だったろうか、それとももっとだったろうか。
あの時の医者の話を思い出していた。
気づけば高速電車で移動中であった。
俺の家は大東京の最果てだ。
距離にして85Kmも離れている。
ただ、高速電車のおかげで40分で都心に着く。
電車には無料で乗れる。
わざわざ移動するような人しか乗らなくなったからだ。
都心住人には関係ない話だ。
周りを見渡すと、VRゴーグルでメディアを観る人や、ARグラスで通話する人、キミドリで仕事をする人がいる。
キミドリとは、車両内に設置されたコワーキングスペースだ。狭いが最高の通信環境なので、どんな仕事もすることができる。昭和時代の公衆電話に似ている為、通称でキミドリと呼ばれている。
「電車の中でもか……ヒューマンワーカーってわけか」
キミドリで仕事をする人は、今まさに億単位のお金を動かしている。
都心に着くころには仕事が完了するらしい。
俺とはほど遠い。
なぜだか、急に実家で食べた冷たいご飯の味を思い出す。
きっとその冷たさを知らないのであろう。
▽▲▽
今日の仕事場は地上からだ。
地上の清掃範囲に人が入らないように進入禁止区域を設けるためだ。
上を見上げると、いつもの職場が見える。
地上にいると落ち着かない。
まるで自分の居場所はここだと押さえ付けられている気がする。
「とはいえ、働いていてもなぁ」
と口から漏れ出てしまった。
「早く、働きたいなぁ」
輪唱するように、すぐ後に似たような音が連なる。
その声の出どころを見ると昨日の青いマフラーをつけた女性がいた。
彼女も見られていることに気づいて、こちらを見た。
そのまま笑顔を向けてくれた。
さっきまで硬かった彼女の表情は、笑ったら温度が灯ったように見えた。
ほんのり、俺の心まで暖かくなるような気がした。
「窓清掃の方ですよね? いつもありがとうございます」
「え? あ、はい」
「意味分かんないですよね、すみません。実は最近就活で毎日ここのガラスで自分の見え方をチェックしてて」
とまるで「えへへ」と言いそうな顔で頭を描く。
「はぁ」
「窓掃除ってすごいですね………」
そう言われても、「鏡の代わりになるぐらいだ。中にヒトなんか居ないんだから」と呟きそうになる。
「だって、絶対思いつかないですもん、ヒトでなければ」
「え?」
一瞬、言葉の先が見えなくなった。
俺の人生は次にくる言葉がいつも予想できていた。
だから、すぐには彼女の言葉の意味がわからなかった。
「……ああ、そろそろ行かなくちゃ。失礼します!」
「あ…」
彼女は昨日のように、人を掻き分けて走っていった。
「ヒトにしか思いつかない仕事……そんな風に見えているのだろうか」
上空を見上げてみた。
あそこには、恐怖があり、そして清々しさがある。
俺は、そういう「ヒトの仕事」をしているのかもしれない。
噛み締めた言葉を胸に、前を見つめた。
ただ、ガラスにはあの狐の仮面の医者が映っていた。
––死んじゃいますからねぇ––
▲▽▲
小学生の頃。父が何気なく語ったことがいまだに忘れらない。
父は企業の研究者であり、科学のことに造詣の深い人であった。
ある日、父が目の前のテーブルを指しながら言ったのだ。
「ヤスアキ。このテーブルほどの質量があれば、それは莫大なエネルギーに変わるんだ。ただ、そこに質量があるだけでだよ。それは我々のように生命であることとは関係なくだ」
宇宙物理の法則を教えたかったのだろう。
俺は父の欲しい反応ではないモノが出た。
疑問だ。
「でも父さん、だったらなぜ僕らは生きているの?」
父は、明らかに残念な顔をした。
だけれども俺は続ける。
「だったら、なぜ、父さんは生きようと思うの?」
父は目を逸らした。
あの頃、父は職を失いかけていた。
AIにより研究作業は代替され、研究職のポストは減り続けていたからだ。
すると、狐の仮面を被った母がテーブルの上に冷たいご飯を置いた。
「そうよ、ヤスアキ。別に生きてなくても、生きてても同じなの。エネルギーがあることには変らないのよ。だから、このご飯だって冷たくても暖かくても同じなの。別に死んでいても同じなのよ」
仮面を被った母は微笑んでいた。
▽▲▽
あの後、また病院に行った。
診療室に入るとニコニコしているあの医者がいた。
入るとすぐに
「どうしますか? お安いローンがありますよ」
と、訪ねてきた。
今日は看護婦も居ない。
いくつかのカラーのパンフレットを渡された。
医療ローンである。
俺は思う。
あの時、父が答えられなかったことに落胆をしたのは事実だ。
だからと言って、父は間違えていたのだろうか?
医者の言葉は何一つ耳に入らないのに、
あの一度きりしか会っていない、彼女の言葉が響く。
『窓掃除なんて絶対に思いつかないですよね。ヒトでなければ』
父はあのあと、仕事を無くした。
けれどもその後、しっかりと別の仕事で働き続けた。
生きることを辞めなかった。
ヒトとして生きることを。
ヒトにしかできないことをしようと思う。
父のように。
「どうですか? 今なら私の口利きでお安いローンをさらにお安くしますよ」
医者の男の顔に笑顔が張り付いていた。
「ローンは結構です。俺は俺の人生を生きます」
▲▽▲
今日がこのビルの窓掃除の最後の日だ。
もう明日にはここに来ることはない。
今日でその現場が終わるという日は、ほんの少しだけ出勤時間を早めてみる。
ビルの屋上にはまだ昨日の夜がこびり付いている。
東の空がほんのり明るくなる。
朝の光は可視光線としては赤い。
温かみを携えた、赤い色だ。
だが、本当は全ての色を持ち合わせている。
もちろん、青い光も。
太陽が顔を出した。
あの太陽は毎日、顔をあげる。
本当にずっと、毎日。
なのに人々は、元旦に上がる太陽を特別と思う。
思おうとする。
ヒトが生きていることは
あの毎日上がる太陽のように平坦なものだ。
或いは、虚しささえ含まれるであろう。
だが、ヒトが営む事には意味があるだろう。
少なくとも……
下を覗き見ると青いマフラーの彼女が居た
いつものように窓を見つめて自分を見ているのだろう。
でも、いつもより歩幅を大きくとって歩き出していた。
このビルにはヒトは居ない。
だから、俺は誰かのために窓を綺麗にしているわけではない。
それでも
窓が綺麗になることは
窓を綺麗にすることは
意味がある。
少なくとも
自分にとっては。
赤いはずの空が、俺にはきっと晴れるであろう青い空に見える。
あの、青い光が乱反射した、世界に。
そんな空が見えた
「明日も明後日も、
死ぬまでずっと、この生き方で良いと」
了
Kojiさん作品 ”B面”
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#掌編
#4970文字