いまさらながらの自己紹介
note5日目になりました。
いまさらながらとなりますが、自己紹介を。
本州の最西端県の高原地帯出身で、
昭和の最後のほうの生まれです。
8月7日予定日であったため、
母親が「ハナコ」と名付けようとしていましたが、
当時母のおなかの中にいた私はそれが嫌だったようで、
何とか6日夜に世に出てくることができました。
祖父が名付け親となってくれ、珍しくもレトロで
かわいらしい名前を付けてくれました。
気に入っています。
今のところ同じ名前の方には会ったことがなく、
大学生のころmixiで「本名ですか?
私も同じ名前なんです」と
DMを1通頂いたことがある程度です。
(それが嫌でmixiネームを変更した記憶があります)
保育園から13人1クラス、クラスの家族は
全員知っているし、車も家もわかる、
という環境で育ちました。田舎あるあるです。
しかしながら、あまりにも人数が少ないので、
私が小学6年生のときに3校が統合することとなり、
クラスの人数も増えました。
増えたところで20人です。
・・・・・。
そうです、そんなに田舎なのです。
そのまま20人1クラスで中学校にあがります。
同じメンバーです。
中学校にあがると、強制的に部活動が始まります。
帰宅部という選択肢はありませんでした。
当時女子が入部できるのは、
バレー部、剣道部、音楽部、卓球部のいずれかでした。
バレー部は先輩怖いし、私は卓球部を選択しました。
卓球部に入部したのは私を含め女子3名でした。
顧問の先生はいわゆるDINKSの方で映画好き、
土曜日の部活の日には飼い犬を連れてきていました。
そんなにやる気もないので、
テキトーに部活の時間もやりすごし、
高校受験の時期になります。
私はもともと勉強をしなくても平均以上は
余裕でできるタイプであったので、
なんとなくテストの前にちょろっと参考書や
教科書を読んでテストを凌いでいました。
それでも成績は上位です。
田舎なので、私立は公立に落ちたやつがいく
というレッテルがあり、
絶対に行きたくありませんでした。
行きたくないのですが、
念のため皆滑り止めとして受験をします。
ですが、私はなぜか私立を
受験させてもらえませんでした。
別に家がビンボーというわけでもなかったのですが、
母が三社面談前日に、
父に「私立は受けんでええよね」と言い、
ケチな父は当然了承。
翌日の三社面談で、
母が私立は受験しない旨担任に伝えると、
一瞬「!?」の顔であったが、
受験したほうがいいと促されることもなく、
私は公立高校一本で勝負することとなったのです!
受験するのは母の母校。
落ちるわけないと自分でも思っていたので、
見事合格して高校生活が始まりました。
2時間に1本しかないディーゼル車
(電車ではないので・・・)で
片道1時間半かけて通っていました。
なんだかこう活字にしてみると、
どえらいことしとるな、と思いますが、
それが当たり前だったし、
そうするしか高校には通えないし、
疑問にすら思っていなかったような気がします。
高校ではESS部に所属して、週に1回、
おしゃべりをするというなんとも素敵な部に入りました。高校は毎日多分いろんなことが
起こっていたような気はしますが、
部活以外に大した思い出はありません。
部活のメンバーは今でも仲良しですし、
そんな仲間に出会えたことこそ素晴らしく、
そのほかは別にどうだっていいのです。
そんなこんなで高校を卒業し、大学に入ります。
大学で上京をしました。
それも諸々あったのですが、
別の記事で書こうと思います。
なんだか疲れてきたので、
今日はこのあたりで終わろうと思います。
また自己紹介第二弾は追々。。。
皆さま良い一日を。