政府の5類感染症への見直しにあたり

新型コロナウイルスについて、この春にも新型インフルエンザ等感染症から外し、5類感染症とする方向が示されました。今後、陽性判明者や濃厚接触者の外出自粛などの行動制限、医療提供体制や現在講じている公費負担などについて、どのように移行していくのか、方向性が示されることとなります。

春というのが4月を指すのか、5月を指すのか、まだ分かりませんが、医療関係を始め、多くの関係機関に影響があることから、政府にはできる限り早く、その見通しを示し、共有することが重要です。

私たちは5類相当への見直しに伴い、現場として何が起きるか、シミュレーションを行い、必要な提言を政府に行っていきます。

最も重要なことは医療提供体制に混乱が生じないこと、かつ対応する医療機関を広げることです。5類相当にする以上、原則全ての内科や小児科などが発熱患者に対応すること等の方針を政府が明示する必要があります。

疾病として未確定の情報が多く、ワクチン未開発であった2020年当時ならともかく、その後、医療機関は優先的にワクチン接種の対象となり、重症化比率が顕著に低下したオミクロン株が登場して以降は、内科や小児科を標榜し、従来から発熱患者を診察していた診療所等が対応しないこと自体が日本の医療制度上はおかしかったわけです。感染対策に要する経費は診療報酬や補助金などで措置されており、対応しない理由は基本的にありません(人間ドック・健診専門などコロナ前から発熱患者を診ていないような医療機関は別です)。

小さな診療所で物理的に動線が分けられないなどのケースは発熱患者の診察時間を分ければよく、厚労省や県からも具体的な対処方法を医療機関に周知てきており、現に多くの診療所がそのように対応することで発熱患者を引き受けて、忌避する医療機関の分も患者を必死に引き受け、疲弊しています。

5類相当に見直した後は、特別な事情があって診察できない理由を除き、内科や小児科などは基本的に全ての医療機関が発熱患者に対応することが原則であるべきです。それでも対応しない医療機関は日本の医療制度においては義務違反に近い行為ですし、対応する医療機関や医師がその分を負担し、疲弊やひっ迫する現状が続くことになります。
また、今まで発熱外来の負担を一部軽減してきた陽性者登録センター等が5類移行後に無くなれば、さらに負担は増しますので、何らかのペナルティを課すことも検討が必要です(ペナルティを課すことはできる限り避けることは当然です)。

入院患者に対応する医療機関については、2020年当初は多くの医療機関が対応せず、公的病院が孤軍奮闘したのは事実です。ある程度新型コロナウイルスの特性が分かり、レムデシビルやステロイドなど有効な薬の知見、ワクチン接種が進んだ後に、徐々にではありますが、対応医療機関が増えていきました。それでも救急指定病院など、本来は引き受けることが期待されていながら未対応の病院も散見され、「なぜ●●病院のような病院が受け入れないのだ」と県の担当や他の病院関係者と嘆いたことを今でもはっきりと覚えています。

比較的重症度の高いデルタ株当時でさえ、「大学病院のような3次救急に対応する病床を多くコロナ用に割くのはオーバースペックで、医療資源の使い方としてはベストではないが、本来受け入れるべき医療機関が対応しない以上、やむを得ない」という状況でした。改めて2020年から2021年頃にコロナ対応頂いた医療機関の皆さまには深く感謝します。

皮肉にもオミクロン株が登場して感染者が一気に増えたことによって、対応を忌避していた病院でも入院患者がコロナ陽性になる、クラスターが発生するなどによってコロナ対応を経験することとなりました。そして、スタッフの理解が進んだことと潤沢な補助金の存在もあり、それらの病院での受け入れが一気に進み、県内の医療機関の受け入れ状況を見て「ようやくこの病院が受け入れるようになったか」と思うことが多くなりました。

既にコロナ専用病床に指定されていない医療機関でも多く入院患者を受け入れており、2022年に制度も実際の運用もあるべき姿に大きく近づいていることは知って頂きたいと思います。

しかしながら、入院患者を受け入れる医療機関によっては未だに2020年当時のような、厳重な感染対策を行っている医療機関もあります。

感染力が極めて強い疾病である以上、感染対策は必須ですが、厚労省がこれまで示してきたように既存病棟や病室において工夫しながら患者対応することは可能ですし、そうしなければ運用効率が低下することで医療機関全体の医療提供能力が低下し、医療のひっ迫につながります。この部分についても5類相当への移行とともに、あるべきレベルの感染対策と運用に落ち着く必要があります。

濃厚接触者という概念が無くなることで、人員が不足する事態の改善も一定程度見込まれます。

そして、ここが重要なポイントですが、入院患者を受け入れる医療機関や介護施設において基準となる感染対策のレベルなどを明示し、それを遵守した上で発生する感染やクラスターに関しては責められるべきものではない、ということを政府が明言することが必要です。

世間は正常化しつつあるのに医療や介護現場だけが取り残されてはいけません。「絶対に感染しては、させてはいけない」では、医療や介護は持ちません。この認識を政府が示し、社会が明確に共有することが重要です。これは学校現場などにも言える話です。

公費負担については医師会や知事会など、様々なところから継続が主張されるでしょう。もちろん、段階を踏む形で、一定期間は公費負担が必要かもしれません。しかし、全額公費負担によって医療資源の使い方が歪になっている側面があるのは事実です。

また、様々な補助金によって医療機関の収支が大幅に改善し、稼働率が低い状況でも収支が成り立つことで稼働率を上げるインセンティブが働かず、結果的に医療提供能力の低下や医療のひっ迫を招いた側面もあります。

知事会の中では少数派かもしれませんが、何でも公費負担や補助金の継続ありきではなく、限られた医療資源を最大限に活かせる診療報酬・補助金体制に改めることを私たちは主張していきます。

マスクの着用について屋内も原則不要とする方向、との報道があります。本来、5類相当への見直しとマスク着用は直接リンクしていないですし、国民の感情にも関わるものなので、丁寧なアプローチが求められます。政府がその考え方をしっかり国民に説明することが必要です。

私は言葉を覚え、子ども同士の密なコミュニケーションが不可欠な保育所・幼稚園・小学校に関しては優先的にマスク着用を不要にするべきとの立場です。最も重症化しづらく、最もマスクによる弊害が考えられる幼児・小学生が事実上、マスクを常時つけ、私たち大人が当たり前のように経験してきた貴重な経験を一部、一方的に奪われ続けてきたことは日本人が永遠に十字架として背負うべきものだと考えています。

その上で、冬のように医療がひっ迫しやすい時期、かつ感染が拡大している時期にマスク着用を検討するかどうか、ではないでしょうか。当然ながら、その際も最低でも授業形式のような座席配置での給食時の一定の会話は許容されるべきものとの立場です。

私たち千葉県は1年後の状況も考えて昨年末に黙食見直し方針を示しましたが、おそらく次の冬には、私たちの黙食見直しに文句を言っていた人達の多くが正常化しており、普通に向き合っての給食すら許容しているでしょう。私たちは常に疫学的立場から方針を決めていますが、「安全と安心は違う」という社会の空気感で左右されるのも事実です。

私は先に医療面を中心に制度・運用における段階的な見直しを行い、国民的な理解の広がりを踏まえて、夏前頃に子ども以外の大人についても屋内マスク着用も不要にしていくことが無難と考えていたので、想定以上に早いスケジュールであると受け止めています。これは国民感情の話なので、政府が正しく整理・説明するのであれば、疫学的には春でも夏前でも変わる話ではありません。

医療機関や介護施設などの重症化しやすい層が中心の施設において、また、感染した方、もしくは同居家族など、2類相当時に濃厚接触者と定義される方はマスク着用が推奨されるほか、冬場・感染拡大期に満員電車など混雑した環境においてマスク着用が推奨される、といった整理になるでしょうか。

重要なことはどのような施設は利用者にマスク着用を強く要請できるのか、それ以外の施設は事実上マスク着用を義務付けるような呼びかけはしてはいけないのか、この辺りの整理をしなければ、国民の間で分断が生まれ、現場にいる人間が疲弊することになります。この点は強く政府に求めていきたいと思います。

さて、ここからはこの3年間の総括的な部分です。

日本は2020年の国内で初の患者発生から2022年の春頃までの対応は概ね一定の評価を受けられるレベルであったと思います。諸外国のロックダウンのような強い私権制限を行うことなく、国民の協力を得ながら、段階的にステップを踏んできました。もちろん、中には行き過ぎ、もしくは不十分だった対応もあるでしょうから、冷静に振り返って総括することが重要です。

2022年春以降に関しては私は大いに総括と反省が必要と考えています。

諸外国の多くは昨年の春から夏に既に同趣旨の見直しがされていますので、日本は1年遅れての見直しとなります。ウイルス自体は若干のタイムラグはあっても基本は同じですから、なぜ日本がこれほど意思決定が遅れたのか、それによって失ったものがある以上、その失ったものを上回るほどの理由があったのか、しっかりと検証されるべきでしょう。

オミクロン株の特性が分かり、ワクチン接種が進み、パキロビッド・ラゲブリオ等の経口薬が登場し、顕著に重症化率などが低下した昨年の春頃から、私や都市圏の知事は「対応を変えるべきだ」と主張してきました。

① 岸田政権は一昨年末のオミクロン株登場時に極めて厳しい水際対策を実施し、その評価が高かったこともあり、従来の安倍・菅政権と比べてコロナ対策においては慎重を旨としていたこと、

②日本のマスメディアは夏頃までは慎重な報道が多かったこと、

③地方圏の知事を中心に昨年夏~秋までは慎重な意見が多かったこと、

④実際に高齢者を中心に行動制限を求める声が強かったこと

等もあり、見直しの議論は進みませんでした。

昨年の春以降、特に疾病としての性格が変わったわけでも、ワクチン接種率がさらに高まったわけでも、画期的な新薬が登場したわけでもありません(塩野義のゾコーバはパキロビッド・ラゲブリオと比べて優れている、というわけではありません)。4月に位置づけを変える疫学上の理由はありません。4月に見直せるなら、昨年の春~夏の時点で見直せたはずです。

あえて言えば「社会の空気、受け止め方」が変わってきた、としか言いようがありません。なお、私は何か特定の人や層を批判したいわけではないことは強調しておきます。

諸外国と比べて1年遅いとは言え、国民の一部から反発があるコロナ対応の大幅な見直しに着手することには勇気がいることは確かですし、それがより良い形で着地するよう、できる限り協力したいと考えています。

狂牛病での必要以上の輸入規制、放射能での国際基準以上の対応、豊洲の狂乱劇など、我が国は科学的というよりも感情に左右され、リスクの相対化ができず、多くのコストやデメリットを積み重ね、しかるにその後に慣れ、空気で、いつの間にか関心を失い、総括もしないということを重ねてきました。今度こそ、今後のためにも検証を重ねていくべきです。もちろん、私たちの対応についても審判を受けなければいけません。

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