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2021/5/18 今日の話

守屋淳先生が現代語訳した「現代語訳 論語と算盤」を読んでいる。
まだ読んでいる途中(しかも結構な序盤)だけど、印象的なことがあったのでメモ。

第3章の初めで常識というものを渋沢はどう解釈しているかというところで、

まず、何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動が全て中庸にかなうものこそ、常識なのだ。これは学術的に解釈すれば、
「智、情、意(知恵、情愛、意志)」
の三つがそれぞれバランスを保って、均等に成長したものが完全な常識であろうと考える。

と書かれている。

私の第一印象は「わぁめっちゃカッコいいそれだそれだー」というどうしようもなく間抜けなものだったけれど、もう少し考えてみると割とスカッとするし同時に耳が痛い。

極端だったり頑固なのはダメで言動が中庸であること、というのはスカッとする。「いやだってそれ常識だし」と言って押し付けるのは決めつけで頑固だからアウト。脳死状態で「これは常識だー」というのは、もしかしたらパワハラ案件みたいな極端な状況を生み出す可能性もあり、よくよく考える必要がある。パワハラまでいかなくても、友人やパートナーと不和の原因になる可能性だってある。これは耳が痛い。
それに、知恵、情愛、意思の三つのバランスが大事であることは、論理と感情のどちらが大事かというような二項対立的な思考に待ったをかけるいい言葉だと思う。どっちが大切かなんじゃなくて、どっちも大切だしどっちかだけを重視しちゃいけないんだよ、とあの写真の渋沢おじいさまに諭されている気持ちになる。よく男性は理論重視で女性は感情が先走りがちだからお互い上手くいかないんじゃ云々ということを聞くけれど(これは決めつけだなぁと思うので個人的には嫌い)、そもそもどっちかに偏っている時点で「人間として」成長途中の伸び代枠ですねってことだなと腑に落ちた。

現代語訳を担当されている守屋先生は、100de名著でその素敵なお人柄を拝見しとても尊敬しているので、これからもガシガシ読み進めて何度も読み返したい所存。何より現代語訳があるのは、私のような学の浅い者にとって大変にありがたい。

くまふく

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