タブーの言葉2 - 命の選択 - の続き
前のnote タブーの言葉 - 命の選択 -は、簡潔にしたくて短くしました。書こうと思っている事が多いため、1つにすると長くなるため、追々ゆっくり続きを書こうと思っていたからですが、今少し続きを書こうと思う事があったための続きです。
これを書くにあたって問題の動画は何度も見ました。また批判している人がどうコメントしているかも見ました。
その上で、批判されている主な理由は、
「年寄から逝ってもらうしかない」「命の選択をするのが政治」の言葉から、選民思想や優生思想を連想したからという事のようです。
動画で使われている言葉に問題があるのか、連想させる言葉を使ったのが問題なのかが曖昧に感じました。
そのため連想を抜きにした場合に言葉に問題があるかどうかは、
言葉のイメージで判断せずに動画使われている言葉をよく聞かないと判断できないと思いました。
その上で動画を見た僕の感想です。
・この動画で使われた言葉だけで、選民思想・優勢思想とまで解釈できるか
この動画だけでは判断できない。
連想した人がいて傷ついた人がいたなら癒されるべきかもしれないが、言葉の意図が違う場合には言葉叩きはすべきではない。
・「年寄から逝ってもらうしかない」「命の選択をするのが政治」と言った事にどのような問題があるか
具体的にどのような状況でどうすべきと言う事に言及していない。
トリアージを医者任せにした場合、医者個人が責任を負う問題、あるいは裏金で選択されるかもしれない等の問題がある事や、高齢者医療について個人任せの現状で一家心中せざるを得ないケース等の問題があるのは事実。また高齢でなくてもお金がなくて健康保険にすら入れない人もいる。
現状は「金やコネによって命が選択されている政治」「金やコネをもたない者には自己責任まかせの命の選択の政治」、つまり現状は新自由主義。
それに対して発言の意図が今後もそれでよいと言っているか。
この動画だけでは判断できない。
もしかすると、例えばこれらについて政治が責任を負ってルールを作る、という発言なのかもしれない。
「個人につらい命の選択をさせない」ために「政治が命の選択をする」という解釈も成り立ちます。
つまり、動画だけでは「正しいか間違っているか判断できない」。
ならば叩かれる理由がないと、僕は思いました。
何万ものフォロワーのいるインフルエンサーが動画では使っていない形容詞を加えて言葉を歪めて発信しているのも見ました。
動画は消されてもう確認できなくなってしまったけど、すでに言葉は一人歩きしていると感じていますが、炎上を扇動している人の目的が野党の分裂や攪乱である可能性もあります。
この分裂が誰を利するかは、note誰を利するか、に書いたとおりです。
この事で仲間割れして、大西氏や大西氏の支持者が与党側に回るのは困ります。
だから、れいわは大西氏を除籍すべきではなかったと思いますが、してしまった以上は別の野党に急いで吸収してもらわないと数が減ります。
また、この件に限らず、言葉叩きが多い、内容についてイメージによる決めつけや言葉の一人歩きが多い、と思っています。
言葉をイメージで叩く、それによる集団心理は問題と感じます。
誰かを叩く事、誰かを差別する事、共通の敵を作る事等、組織を扇動しコントロールしやすくする事です。
ナチスが優勢思想等で国をまとめた事は問題ですが、ナチスを生んだのは民主主義です。皆を扇動しコントロールできれば理由は何でもよかったかもしれません。聞こえのよい大義名分も悪い大義名分も正しいかどうかは後の勝ち負けや力関係で決まってしまいます。規模の小さい物では学校の先生が一人の生徒をいじめの対象にしてクラスをまとめる事も同じと思います。残念な歴史と現状です。
なので、言葉がイメージで判断して叩かれているならば問題と感じます。
そのため言葉叩きをしてほしくないのです。
まとめます。
動画では正しいか間違っているか判断できない。
この分裂が誰を利するか。
言葉をイメージで叩くなら問題。
です。