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Vol.16 Shinichiro Sawa|崖っぷち博士

#分子農学 #他力本願 #今でしょ!

1.どのような研究をしていますか?

 私たちの研究室では様々な研究テーマがあり、学生・研究員の各々が興味を持ったテーマを深掘りしています。大きく5つのテーマがあります。1つ目は植物の形態形成の仕組みです。ペプチドが関わる気孔腔発生の仕組みや地下部で発現するペプチドが関わる花成制御機構の解明等を目指しています。2つ目は、ネコブセンチュウの感染過程の分子遺伝学的解析です。1根瘤RNAseq技術を用いた根瘤形成遺伝子の単離・解析などを行っています。3つ目は、センチュウ―植物―微生物の三者間相互作用の解明です。根圏微生物、種子圏微生物に注目した多者間生物相互作用の仕組み解明を目指しています。4つ目は、センチュウの農業利用に関する研究です。線虫抵抗性品種の開発やジャガイモシストセンチュウの孵化促進物質を利用したセンチュウ対策、ジャガイモシストセンチュウのγ線照射による不妊化線虫の開発と線虫対策、センチュウホイホイの開発、線虫誘引阻害物質の同定とそれを利用した線虫対策に関する研究をしています。5つ目は、植物の多様性に関する研究ですムヨウランの分類や天然記念物のヤエクチナシの原因遺伝子の同定と保全・保護活動、キタミソウが熊本と関東と北海道のみに分布している理由を研究しています。
もっと知りたい方は、以下の動画をぜひご覧ください!

 また、2022年に熊本大学先端科学研究部・生物環境農学国際研究センターが設立されました。私はセンター長として、様々な農学的共同研究のセットアップや熊本県、熊本市、菊池市、山鹿市や多くの県内企業との産学官プロジェクト、スタートアップベンチャーのサポートなどを行っています。熊本大学の農学センターについても是非、お見知りおきを!

研究室メンバー
農学センターによる阿蘇での学生実習

2.どのような人生を経て、熊本大学に?

 大学時代は、旅行や趣味に多くの時間を費やしました。それが要因かはわかりませんが、2回も院試に落ちることになりました。
 私は名古屋大学理学部分子生物学科の卒業研究で、MAP kinaseカスケードのkinaseを単離する仕事に携わりました。ヒトのガン研究にもつながるホットな領域でした。この時に、遺伝学的思考の基礎を、厳しくも楽しく勉強させていただきました。それまで遊び呆けていたため、生活や心のギャップが激しかったですが、新鮮な楽しさに毎日が充実していました。そこで、前向きに大学院進学を決めました。しかし入試の後、研究の指導をしていただいていた助手の先生に、「澤くん。さすがに、あれじゃぁだめだよ」といわれた記憶が鮮明に残っています。昔も、大学院の入試は成績によって真摯に判断されていたようです。そこで、MAP kinaseに興味があったため、共同研究もさせていただいていた植物系の研究室を受験しました。ところが、30人中28人が合格する試験の、残り2枠に入ってしまい不合格となりました。2度目の不合格です。
 そこからが大変でした。就職するつもりは毛頭無かったので、全国の大学院を探しまわり、見事な富士が望める静岡県立大学になんとか合格しました(当時インターネット検索が無く、電話帳を広げて全国の大学の事務に片っ端から電話をし、大学院入試情報を集めました)。植物の光合成に関する研究室でしたが、やはり発生に関する研究をやりたいと思い、今一度名古屋大学を受験し、植物でMAP kinaseの研究を行う研究室に合格させてもらいました。しかし、その研究室には既に同級生が4人合格しており、5人目の私の座席はありませんでした。そのため、私は名古屋から近い岡崎市にある基生研の岡田清孝助教授と研究をさせていただくこととなりました。所属した研究室は、シロイヌナズナを植物のモデル植物にしようとしていました。当時は、この小さな日本でも、シロイヌナズナ研究が開花期を迎える時代でした。初めに、「澤君は花が好きか。根が好きか」と聞かれ、「そら、花です。根と答える人いますかね。」と答えたため、花の発生に関する研究を行う事になりました。そして桜が満開な4月に意気揚々と岡崎市(基生研)に移り住み、初めて研究室を訪問した際に、岡田先生から意外な提案がありました。

「澤君、京都に行きたくないか?」

 私が基生研に来て初日のことでした。「それはないだろう、、、」と心の中でつぶやいたものです。その半年後に、岡田先生が京大で教授に移動されたため、京都に引っ越しました。研究室のメンバーは、私以外全員が学振をゲットするほど優秀で、「私もがんばらねば!」と感じていたため、体力でカバーしようと、後輩に「よく体力持ちますね」と言われるまで実験をしていました。結局、学振は4回申請して全滅し、人生で一度も取れませんでした。また、私は学生結婚をしており、既に1人の子供がいました。育英会の収入だけで家族3人が暮らすことは大変でした。お金がなく健康保険に入れなかったので、インフルエンザにかかって病院に行った時も、子供に点滴しかして貰えなかった時は本当につらかったです。その研究室では、染色体歩行によって背腹軸の背側決定のマスター遺伝子を単離できました。シロイヌナズナ国際会議でその発表をしたとき、なんと、私達以外に4つのグループが同じ遺伝子を単離していることに気づきました。私はアミノ酸配列を記憶していたので、それぞれ名前は違えども、すぐに同じ遺伝子だとわかりました。「これはまずい!」と思って、急いで現地で遺伝子配列と名前をNCBIに登録し、京都に帰ってから急いで論文を書き、なんとか他のグループに負けることなく、無事背腹軸決定に関わる最初の遺伝子として報告できました。その後、他の4グループからも1年以内にそれぞれNICEな雑誌から論文が報告されていました。その時に戦った、植物の研究業界では最も有名な研究者の一人、John Bowmanは、今も良い友達です。また、その遺伝子は現在高校の教科書にも載っているので、今となっては非常に嬉しいエピソードです。また、染色体歩行は鬼のように大変で、毎日RIを浴びまくっていました。シロイヌナズナの染色体歩行で遺伝子までたどり着いたのは、日本では私だけではないかと思います。論文のアクセプトが博士課程3年の12月で、どうにか博士課程3年で京都大学で博士号をもらい、幸運にもその年の4月には都立大学でパーマネントの助手に着任しました。しかし、あっさりとクビになってしまいます。当時、植物ではまだ見つかっていなかったホメオボックス遺伝子を単離したのですが(動物ではかなり重要な転写因子のファミリーである事はわかっていた)、当時の研究室のボスに「研究をバリバリやりたいわけじゃなくて、私が楽しく過ごしたいだけなので、そんなに研究をしたいならよそにいけ」とハッキリと言われ、クビになりました(ちなみに単離した遺伝子は、その後に海外のグループからNature誌に論文が報告されました)。そのため、大学院に落ちたときのように、行き先を考える必要がありました。また、都立大学に在籍していた時、3年の間に家族が2人増えた5人家族になっていました。戦時中の国策に従ったようなハイペースで日本国民を量産しており、さすがにやばい状況でした。4月まで時間が無かった私は正月返上で就職活動をし、1月中に製薬(会社員)とデュポン(ポスドク)に行けることになりました。嫁さんは、「会社員はつまらないだろうから、アメリカに行こう」という優しい言葉をかけてくれました。最終的には、タイミング良く東京大学で助手の公募があり、そこへの応募を進めていただき、東京大学に着任しました。東京大学には9年在籍し、その間に4男も誕生。研究面でもScience誌に植物で最初のペプチドホルモンの報告を出せて、助教授になりました(Science誌の同じ号に2連報。なかなか無い快挙です)。その論文の審査過程で「動物にはペプチドホルモンがあるが、植物には無い事になっているので、”微量で生理活性の有る小さな蛋白質”と言い換えなさい」とエディターコメントが有り、ペプチドホルモンという単語は使えませんでした。今では植物の”ペプチドホルモン”は市民権を得ており、私が報告したペプチドホルモンは、現在高校の教科書でも紹介されており、こちらも嬉しいエピソードとなっています。以上のように順調に研究も進み出しましたが、東京大学の理学部生物科学科には助教授から教授には昇任できない規則がありました。そのため、次の行き先を探していたところ、2010年に熊本大学で採用していただき、長い熊本生活が始まりました。崖っぷち続きだった私でしたが、熊本で、初めて腰を落ち着かせた生活ができるようになりました。

オスロ大で博士のデフェンス審査員もやらせていただきました。

3.今後世に残しておきたい、大変だった過去のエピソードは?

 スイングローターを使った超遠心の実験をした時です。バランスを合わせなかったため、高速回転中にものすごい異音がして、遠心機の釜の側面を突き破ってサンプルホルダーが飛んできた時は命の危機を感じました。ご存じない方が多いと思いますが、10万回転で飛び出す破壊力は半端じゃありません。遠心機のバランスはきちんとと合わせましょう。
 また、現在はほとんど使わないRIでも事件がありました。シーケンスにもRIを使いますし、当時はmRNA in situ hybridizationにも35Sを使いました。このRI関連のエピソードは鉄板ネタになっていますが、詳しくは、私に直接聞いて頂きたいと思います。ちなみに、RIの除染についてはプロ級で誰にもまけないと自負しています。
大学院時代に経験した失敗は、現在の安全意識につながっています。今は多くの器械に安全装置がついていますが過信せず、本当に安全第一で研究してほしいと願っています!

4.生きている中で大事にしていることは?

  ①他力本願;研究面や私生活においては色々なヒトとの繋がりを大事にし、輪を広げることを大切にしています。研究面では色々な大学を点々と渡り歩いたので、多様な研究者と幅広い分野の共同研究を経験し、多くの方々と知り合うことができました。現在、論文を書くときには多くの項目が要求されます。全ての項目を自分だけでやるのは不可能で、色々な知り合いの力を借りて多方面から論文を強化していくのは、今や必要不可欠です。多くの知り合いによる横の繋がり、研究ネットワークは本当に財産だと思っています。教育面でも協力が不可欠です。2024年には、生物学オリンピック熊本本選大会を主催しました。クラウドファンディングもはじめて経験し、色々な方にお世話になりました。自分だけでは到底できなかった大きなイベントだと感じています。これからも、 ”他力本願”で色々な方々と協力して、自分だけではできない事に挑戦していきたいです!

 ②今でしょ;実験系の研究をメインに行っていると”行動”しなければ何も始まりません。私は2回も院試に落ちるほど、成績は良くありませんが、他の人よりも実験量は多かったと思います。とにかく、少しでも思いついたら試してみるという行動力は必要だと思っています。過去を振り返ってみても、思ったらまず行動している記憶しかありません。「今を大事に、今すぐ行動」です!

 ~さいごに~
 「順調に来ているね」と言われることがありますが、私の中では、いつも崖っぷちに立っていると感じています。大きな理由は、熊本にたどり着くまで同じところに長く留まることができなかったからです。学生の時からテーマも変えず同じ研究を続けられる優秀な方もいますが、私は、所属を点々としており、やりたくても同じ研究を続けられませんでした。また、研究面でも、研究がなんとか軌道に乗り出しても世界中に強力な競争相手が登場し、常に焦って、なんとかサバイブしてきました。一方で、過去に名古屋大・京大・東大で所属した研究室のボスは皆、新学術領域の研究グループの代表者であり、その研究グループでの活動を通じて植物科学の多くの”イケてる”研究者と仲良くなることができました。師匠だけでなく、知り合いにも極めて恵まれている人生だと感じています。
 今回執筆した内容のとおり、常に周りの人に助けられ、いきあたりばったりでありながらも、与えられた状況でベストを尽くしてきました。今まで私なりに、積極的に色々な会に足を運び、多くの事を学ぶ努力をし、多くの知り合いを作り、地道に全力を尽くしてきたことが結果として、今も全力で何かに挑戦できる私を形成していると感じています。この”研究人図鑑”の原稿を担当させていただけるほど、決して順調な歩みをしてきてはいません。エリートとは程遠い歩みです。いつも崖っぷちであった研究者のひがみかもしれませんが、研究者にとって、成績が優秀である必要は無く、前向きな心と惜しみなく実験をする事が重要ではないかと思っています。

”決して優秀ではないが、不器用な研究者”

が、この世界には少しくらいいても良いかなとは思っています!

生物学オリンピック本選出場選手

▼所属研究室▼

▼紹介記事1▼

▼紹介記事2▼


(編集担当:前田龍成、赤池麻実)

***What is KUMADAI-HUB ?***

▶第4回KUMADAI-HUB巡回ポスター展2024の演題登録が開始!

***ポスター展について***
日時:12/1(日) 12:30~18:00
場所:熊本大学工学部百周年記念館
ポスター演題登録:~11/1(金)
事前参加登録:~11/30(土)
参加費:無料 *懇親会は別途必要
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▶Kumadai-HUBの紹介ページ🐻(2024)

▶くまだいハブ研究人図鑑


Kumadai-Hub事務局 :kumadaihub@gmail.com

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