島原駅伝を終えて 7区 下釜悠暉
はじめに
熊大陸上部OBの皆さん、短距離の皆さん、島原駅伝の応援ありがとうございました!また、選手のサポートに回ってくれた長距離の皆さん、本当にありがとう!
今年、熊大は昨年から順位を2つ上げ、8位入賞&躍進賞を取ることができました!目標の6位には届かなかったものの、皆さんの声援が力となり、精一杯の走りができました。
自身は来年4年生となり、院試&研究室配属により、陸上に費やせる時間は短くなりますが、限られた時間の中でできることを最大限にやりたいと思います。今後とも応援よろしくお願いします🙇♀
今年の振り返り
ここからは、島原駅伝と今シーズンのレースを振り返っていきます。
春〜夏シーズン
今年は1500m,5000mを主軸に取り組もうと決め、最低限でも県選の標準(1500m: 4'15, 5000m: 15'45)を突破することを目標としました。また、全日本駅伝予選会に個人でOP出場するため、5月上旬までに5000mで15'40を切ることを目指しました。
3月のシーズン初3000mから調子は良く、スピードを意識した練習を積むことができました。しかし5月上旬の5000mは15’48でPBを出せたものの、目標の15'40切りとはならず、全日本予選はお預けとなりました。5月末の1500mも4’21とBESTには遠く、悔しい思いをしました。
この大会終了後から走行距離がずいぶん伸びました。自分の中で気持ちが切り替わったのをよく覚えています。賢亮さんの「距離は正義」という言葉を信じてみよう!と思い、距離踏みに徹したところ、はじめて月間300キロを超えることができました。実際、6月の諫早ナイターで15’35を出せたのは大きな自信になりました。距離を踏めば必ず記録は伸びると実感した大会になりました。(賢亮さん、ありがとうございました✨)
諫早ナイターの結果を踏まえ、7月以降は1500mよりも5000mを伸ばすことに重きを置いて練習することにしました。2部練を本格化させたことで7月には月間400km、8月には450kmを達成し、大幅に練習量が増えました。トータルで1週間を超える国立大合宿&熊大合宿を乗り越えて、走りの基礎を強固なものにできました。(国立大合宿は他大の選手と交流を深めることができ、貴重な経験となりました。)走行距離が右肩上がりに増えた中で、怪我せずに夏を走り通せたのは大きな収穫です。
秋~駅伝シーズン
秋インは5000m、10000mに出場しました。夏の走り込みの後、スピードを入れた練習もこなせており意気込んで臨んだ試合でしたが、15’53、33'37とまずまずの結果に終わりました。特に5000mは悪天候の中でのアップでミスしており、競技力の低さを痛感した試合となりました。島原まで後2ヶ月、このままではいけない、と我に返って考えたのを覚えています。
この教訓が生きたのが10月の佐賀ナイター5000mです。秋インと同じく雨で気温が低い中、アップの仕方には細心の注意を払いました。通過の3000mは過去一楽に感じ、後半も持ちこたえました。ラスト150mこそ士侑に刺されましたが、15’30とPBを更新でき、やっと5000mによいイメージを持つ事ができました。今年熊大は6月と10月のナイター記録会を集団で走りましたが、自身もこの流れにうまく乗れたことはよかったと思います。全員でレースを走ることで、モチベーションが高まる上、部員からの応援が力となるため、現に多くの人がPBを更新できました。この流れは今後も続けていく価値があるように感じます。
さて、実はこの佐賀ナイター頃から右足に違和感があり、翌週の5000mも棄権するか悩んでいました。おそらくは秋イン以降に強度が上がったポイント練習に食らいついていく中で、無理が生じたのだと思います。数日間walkのみでつないで臨んだレースでしたが、5000mの安定性を再現するには至りませんでした。むしろ違和感が悪化し、翌1週間はすべてwalkとなり、もやもやする日々が続きました。駅伝の4区選考を3週間後に控え、焦る気持ちもありましたが、逆に3週間あればなんとかなると腹をくくり、怪我の回復を裳待ちました。
11月初旬の4区選考会(島原)は颯太さんが圧巻の一位で、己との走力差を実感する結果となりました。颯太さんから「ガマはホントに4区走る気あるん?」と言われたように、私には4区に対する執着が足りていなかったように思います。実際、夏以降に坂を上る対策など具体的に取り組んでいたことは少ないように感じます。なんとなく「1年生で4区を走ったから、今年も4区を」みたいな、生やさしい考えのまま練習していたのでは、到底4区を走る資格はないんだと思い知らされました。自分に不足しているもの、それは「思い」とか「目標」を持つだけでなく、それを「行動」として目に見える形に落とし込んでいく努力だと思いました。要は、行動で示せということです。怪我だからできなかったとか、コンディションが悪かったとか言い訳している間は、まだまだだなと思います。
4区選考会の翌週が、えがスタでの最終選考でした。自分はこの選考で4着に入ることができたため、一応、駅伝の選手7人の中に選ばれることができました。私は7区を走ることに決まりホッとしましたが、秋音の状態次第では変更もありうるというプレッシャーは常にありました。だからこそ残り1ヶ月で最大限走力を上げ、本番7区はガマに任せてよかったと言われる走りをしようと決心しました。選考会後の1ヶ月は、ポイント練習を頑張るだけでなく、疲労を取るためjogをあえて超ゆっくりするなど、練習に緩急をつけるよう意識しました。
駅伝本番
最終7区の中継は1区のスタートからかなり時間が空くため、YouTubeで仲間の力走を応援することができました。特に先頭集団に食らいついた仲里の力走や、第一工科との接戦を制した賢亮さんの快走は目を見張るばかりで、自分もアンカーとして精一杯の責任を果たそうと力が沸いてきました。
7区は多少アップダウンはあるものの、全体的にフラットで走りやすい7.7kmの海沿いコースです。当日は天気にも恵まれ気温もちょうどよく、最高のコンディションの中での出走となりました。タイムの目安としては3'10で刻む事を目標とし、遅くなっても3'15以内に抑えることで、24’30前半でのゴールを目指しました。快調なペースでのスタートに続き、今年は大幅に強化された短距離応援団をはじめ、OBの皆さんからの声援を追い風に、区間後半も気持ちを切らすことなく走りきることができました。後半の失速により目標タイムには6秒及びませんでしたが、それでも今できる精一杯を尽くせたと思っています。タイムの面では悔しい思いが残りますが、夏からの走り込みの集大成として駅伝を走れたことは収穫であり、チームにも貢献できたのではないかと思います。
全体では熊大は8位入賞で昨年から2つ順位を上げ、躍進賞にも輝きました。この結果はチームそして個人が、昨年に比べて確実に成長したことを実感させるものでした。一方で目標の6位までの壁は依然として高く、これまで以上の努力と工夫が必要であることが浮き彫りになりました。今後幹部が交代し、新体制での練習となる中で、自分もいかにチームに貢献できるかを真剣に考えていきたいと思います。
最後に
今季はjogの距離が1.5倍に増え、5000mPBも20秒も更新するなど、自身にとって飛躍のシーズンになりました。これは、ひとえに自分ひとりでなし得たことではなく、長距離や短距離の仲間、OBの皆さん、家族の支えがあってこそのものだと信じています。本当にありがとうございました。
これから冬期練習に入りますが、トラックシーズンや駅伝で培った学びを生かして、また一から練習を積み重ねていきたいと思います。2月には熊本城マラソン(自身初)を予定しており、これまで以上の距離踏みを強化していくつもりです。
来年は新しいことにチャレンジして自身の可能性をさらに広げていきたいと思います。
今後とも応援よろしくお願いいたします!
下釜
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