私の足~be strong M1河野
お久しぶりです。下原士侑の影響でMr.Childrenを聴くようになった河野です。下原Tシャツ第2弾を作成中です。もうしばらくお待ちください。
3月中旬に腸脛靭帯炎を発症しまして、2ヶ月ほど走れない日が続きました。今、治ったのか?といわれるとイエスということはできないのですが、全日本大学駅伝予選会に向けて様々な感情と足の状況を考慮した時に、走った方が良いと自分の中で決めたので最後までやりきりたいと思います(レース前心境)。
この怪我の期間は、部活の応援やSNSの運営、読書に多くの時間を割きました。走れないことを苦痛に感じる時間も多かったですが、今思えば私なりに走れない時間を有意義過ごすことができ、充実感を感じています。
(突然)足音~be strong 2番抜粋
疲れて歩けないんなら 立ち止まってしがみついていれば 地球は回っていって きっといい方向へ 僕らを運んでくれる
どんな人にだって心折れそうな日はある 「もうダメだ」って思えてきても大丈夫 もっと強くなっていける
今という時代は言うほど悪くはない また一歩 次の一歩 靴紐を結び直して 喜びを分かち合い 弱さを補い合い 大切な誰かと歩いていけるなら
桜井和寿さんも陸上やってたんですかね?それとも自分のために書き下ろしてくれた歌詞なのでしょうか?怪我中の私にぶっ刺さりました。
先週の振り返り
冒頭長くなりましたが、先週の振り返りです。
5/26 お休み
5/27 14km jog + 200m*2(32”-27”)
5/28 8km jog
5/29 1.6km(5’20”)*4
5/30 12km jog
5/31 12km jog
6/1 刺激 1200m (4’00”)
レースの週ではありましたが、練習を再開して1週間しか経っていないため割としっかりと練習し、日に日に状態が上がってくるのを感じるような1週間でした。
全日本大学駅伝予選会振り返り
せっかくなので全日本大学駅伝予選会振り返りをしようかと思います
①出場に至るまで
この挑戦の始まりは2022年、私1人でのオープン参加から始まり、昨年は3人(こちらもオープン)、3年目の今年はチームでの予選会参加となりました。大学に編入した当時の雰囲気からして、まさか3年後チームで予選会に出場しているとは予想していませんでした。
詳しい方も多いとは思いますが、全日本大学駅伝予選会の出場方法は九州地区では2つあります。以下、要項より抜粋。
(ⅰ) 第41回九州学生駅伝対校選手権大会において6位以内となった大学
(ⅱ) チームエントリーにおいて上位8名の5000m(トラック競技)または5km(道路競走等)の公認記録
の最高記録の平均が15’40”以内である大学
今年は(ii)の条件での参加となりました。恐らく、この条件での参加は私の知る以上熊本大学では初かと思います。
②レースまで
3月中旬から2ヶ月休んでおり、このレースに向けて2週間で急ピッチで仕上げる必要がありました。そこで立てた方針が200mを速く走れるようにするということでした。専門用語を使うとしたら、ランニングエコノミーを上げるということでしょうか。このようなことを考えるようになれたのも怪我中に出会ったこの一冊の影響かと。
③レース振り返り
私個人としては、33’20”を目標としてレースを展開しました。結果としては、33’09”と現状満点に近い走りであったと自分の中では評価しています。チームとしては、打倒九大とチーム平均33’30”を掲げて無事に両方ともクリアすることができ、6位の福岡大学ともトータル10”差で終える結果となりました。
ただ、各個人の結果をみると最終組の益永、秋音の貯金の影響が大きく上位層頼りのチームに変わりない現状を突きつけられました。
④感謝
今回の予選会でサポートしてくれた部員やmg、春先の怪我で出走資格を持ってない自分を快く送り出してくれた駆や浩二、当日応援に来て下さった賢亮さんや萬徳、差し入れとして樽を入れていただいた古川さん全ての方に感謝致します。
最後に抱負?
さて、今年はどんな1年しましょうか。部活も含めて学生生活を謳歌したい!ということで、今年は春から飛ばしております。大学院卒業までに、私に残されたミッションはパフェ会を復活させることでしょうか。そもそも、パフェ会の定義ってなんなのでしょうか?次回、パフェ会復活の巻でお会いしましょう👋