大切に想うからこそ他人である
私が考える人の最大の分類は、自分と他人です。
単純な話で人の数だけ体があり、体の数だけ心がある。
その心は誰にも縛る事は出来ず、趣味嗜好は更に及ばず。
親子であっても、それは適用され
子供は親の所有物ではないし
親の愛も子供に絶対に向けられる等は幻想に過ぎない。
究極の善意が子供への愛だと私は考える。
錦絵の如く、一つ一つの色を活かしあい、潰さず、主張しあい
共存できる姿が、私にとって綺麗で理想の姿です。
私の眼に実際の世界は、ウルトラℚのオープニングのような
おどろおどろしい世界に映っています。
「皆違って皆いい」
真理だと思います。
「個にして全」
単純明快。
「全にして個」
これもまた真理。
人だけが、他の動物と違い、
この領域を目指せるのに目指さないのは、
人ではなく獣に近い性質の人が多いのではと感じます。
親
夫婦
親子
兄姉弟妹
親戚
様々な人間関係がある中で、他人を尊重するならば
自分以外の人間は他人であるという認識は当たり前の事だと考える。
むしろ他人である事を忘れ、所有物扱いしたならば、
それはもう人間扱いしていない事になる。
大切に想う人であるからこそ、他人である事を忘れない。
「ぼっちの私ではありますが、家族には恵まれており
家族という鏡を通してみる自分は、正解かはわからないけど
これはこれでありだよねと、思える生き方が出来ていると思う。」
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こういうのを足すと、途端に記事が私的なメールや物語のようになってしまう。
やはり感情は出来るだけ排除して書いた方が、
記事として成り立ちやすく読みやすい。