生まれて初めて空を飛ぶ夢を観る
確か五年位前に、電柱の高さまで舞空術で浮かんで
ウルトラマンのような姿勢で飛ぶのが
最高高度で唯一の地面から浮かぶ夢でした。
それ以降、夢を観ても疲れる事が減っていきました。
それまでは夢を覚えている時は、体と頭が泥のように重く
眠っている時に夢を観る事が好きでは無かったのです。
2022年10月13日の目覚める直前に観た夢が
雲の上に浮かんでいるような高度で
航空ショーの戦闘機が
ゆらりと
ふわりと
ゆったりと
舞うように飛ぶ夢でした。
高所恐怖症なので、現実にはあり得ないけど
夢の中では恐怖は微塵もなく
夢と現実では、普通の人は違う感覚になる事もあるのだと
初めて知りました。
五年以上前は、お金を出せば
現実に出来る可能性のある夢しか見ませんでした。
夢の世界でさえ心を自由にする術を知らない。
人の心は、自由になれば
見える世界がコレほど変わる。
奇跡は不幸の前提にあり
心の自由さと不自由さを知るには不自由さを知る必要があり
五感は、こころのありようで変化するものであり
自分の可能性を決めるのは自身であり
否定のループから抜け出す事は苦しいけれど
抜け出せたなら、観えない世界が見える。
本当の自分を否定せず
本当の世界を観て
本当の幸せに辿り着ける人が
一人でも増えるようにと願います。
母と数年ぶりに暮らし始めた五歳の秋に
どこまでも真っ暗な穴を
空から落ちるスピードで
永遠と思える時間落ち続ける夢を観て
たった一人夜留守番する部屋で目覚め
恐怖のあまり泣く事すら思いつかない。
数年後初めての飛行機でエアーポケットを経験して
落ちる瞬間のあの感覚がそのまま延々と続けば
穴から落ち続ける夢と全く同じ状態だと気づいて、
高所恐怖症が更に酷くなる。
50年程経ち真逆の空を飛ぶ夢を観る迄になった。
人生半世紀前後生きて変化しても無意味かもしれない。
知らないよりは知る方がいいと私自身は思っている。
たらればで語るならば、後50年遅く生まれていれば
もっと幸せだったかもしれない。
もっと早く今の状態になれたかもしれない。
もっと若くして今の状態であれば
もっと可能性は広がっただろう。
SNSとインターネット時代になり
情報は錯綜するが、強い意志で情報を求めるならば
欲しい情報にたどり着ける今の時代は
+と-の世界が並行して存在している。
絶対的に、これしかないと押し付けられない。
そういう意味で、いい時代だと個人的には感じている。
可能性に溢れている自分自身の価値をどうか決めつけないで欲しい。
家柄も、学歴も、知能指数も、健康も、容姿他
特に誇れるものの無い私でさえ辿り着けたのだから
より多くの人々が
否定のループから抜け出せる可能性があるはずだと信じている。